今年のテーマとして色彩建築を取り上げようと思っています。当初とは選択建物が変わってきましたが、次の建物を取り上げることで近代建築の色彩をできるだけ通史として語れるものを選びました。私の思い入れのある建物を語り継いでゆきますので、偏った選択になっているとは思いますが。当然ですが色彩の使い方の変遷を中心に解説してゆきます。まずは登場建物の色彩内容と概略から。
※01
1914タウト グラスハウス
資料の少ない建物なので取り上げずらいですが、想像力でしっかり見たら、色彩建築と言ったらこのガラス通過光による美しさ、色彩の圧倒的な迫力、まばゆい溢れる色彩感、これを取り上げないわけにはゆかないと思ったのです。そう思ったのは並木通り新ルイビトンのガラスは、揺らぐ色炭流しのような見え方で、その色彩は選択された色彩だけ反射し=その色は青赤黄色のデ・ステイルの3原色からきていないかと思ったのです。でもデ・ステイルは色塗り分けですから、もっと多様なガラス色彩と言ったら、タウトのグラスハウスの青赤黄色の、粒子のような色彩ガラスの集まりが=3原色が天上へと変化してゆく、と繋がったのでしたが。
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1921タウト オットー・リヒター通り集合住宅
この極彩色の集合住宅は、タウトの「建築に色彩を!」宣言1921から、グロピウス、シャロウンなどの若手建築家にまじりベーレンスらが署名した。※8それまでの石やモルタルのグレイに飽き足らす、色彩にあふれたヨーロッパ民家に思いをはせて、低予算ながら豊かな建築とするため、これからの建築には色彩が必要なのだと。まずマグデブルグの既存の集合住宅に着色していった。当初は注目を集めたが、批判も渦巻いた。ここから建築家たちは外観の原色派(タウト)と白派に分かれることになる。今回調べて解ったのはヨーロッパの建築家は誰でも、RCの建物でもレンガでも塗装をしているということです。白派と分類しても白なりグレーなり黒なりの無彩色の外観で、内部では色彩を薄く塗ったり原色を塗ったりしているということです。モルタルやスタッコを母材に塗って平滑にしたり、しないでそのまま塗ったりできる塗料なのです。それはRCでもレンガでも母材に染み込む(含侵)塗料で※0、耐久性のあるものが使われているのでした。シュレーダー邸やバウハウスでは無彩色を使い分けて、面同士の関係を操作(分離したり面の凹凸を強調したり)しているのです。これは色彩宣言して建築家は誰でも色彩の可能性をそれぞれのやり方で試していったんだということですね。
けんちく激写資料室 ※02
1924リートフェルト シュレーダー邸
デ・ステイル=3原色派の傑作と言われていますが、外観は意外にも白を基調とした明暗グレー、サッシは黒、部分線材に3原色が大人しく使われた。白派に属するが、外観がキューブではなく、ランダム壁面構成を白とグレー2色の色彩を持って作り上げた。がRCの壁構造のデザインに見えてレンガ造であることで、余りにその場主義に見えて、全く認められなかった。モンドリアンの二次元を三次元にしたと言われますが、全く違いますね。デステイルの主幹ドゥースブルグの白色直方体の一面だけに着彩とも違います。ここもリートフェルトの独自の感性で建築の外観は白系でないとと考えたのだと思います。デ・ステイルのままでは建築にならないと思ったのですね。外観の色彩感覚では時代を読めていました。バウハウス・デッサウ校が続いたのですから。でもその内部では、天井面の白を基調としつつも艶有り3原色の色彩が乱舞する。現在のところ私には理解不能。
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1925グロピウス バウハウス・デッサウ校
これもまた白色基調と2色のグレート、サッシの黒の構成です。この無彩色の使い方も下部に暗い色を使い上部が浮き上がっているかのような、色彩マッスの見せ方をしています。無彩3色の塗分けでマッスどうしの見え方の関係を操作しているのです。内部もデ・ステイルの艶無し3原色が使われお洒落な内部空間を演出しています。外観の特徴は大ガラスカーテンウォールですね。それにガラス水平連続窓が最初の登場です。事務所ビルの基準という感じで現在に繋がっていますね。
ウィキペディア google
1927コルビュジェ ワイゼンホーフジードルング
外観全体が白色のキューブだけで操作するという手法(理念)はここに確定された感じですね。内部写真はネットではコルビジェ棟が見られるが、白派は薄い眠たい艶消し色彩が使っている。これはバウハウスの階段のように、デ・ステイルの原色が浮き上がってくるような使い方を避けていることが解ると思う。ところで原色派タウトも小規模で参加していたが、隣り合うミース棟に原色が反映してミースが迷惑したと言っているらしい。残念ながら現存していない。下記のタウテスハイムはタウト棟の室内を再現していると思うが、バラガンはこれを見ているだろうか。
※03
1925−30タウト 馬蹄形ジードルング・タウテスハイム
低所得労働者のための集合住宅が希求されていて、タウトたちは短期に驚異的な量を供給してゆく。外観に原色を使って地域ごとに違う特徴を持って彩色デザインされた。それが世界遺産となって、室内が再現された住戸がタウテス・ハイムだ。玄関廊下は白を基調に、各室も天井は白とし、室ごとに一原色を割り当てて、移動すると原色色彩空間が展開してゆく構成となって美しい。これはモダンリビングの艶有り塗装の美しさで、原色派の到達を示しているものだと思う。この到達もいまだ建築界としては評価されていない。
けんちく激写資料室 ※4リビングルームのキッチン側
1931コルビジェ サボワ邸
白派の建築造形の到達を示すもので、ピロテイで持ち上げられた白いキューブの浮遊感が美しい。内部も建築プロムナードと言われ、建築機能空間の展開が楽しい。色彩は内部に薄められた濃度で大人しく使われた。白派の建築と先入観が働き、色彩が使われていることを忘れがちだが、ネットでも色彩デザイン部分の写真が少ない。(海外にはたくさんありました)夫人私室の壁がブルーで、そのドアが深いブルー。リビングルームのキッチン側がL字型に二面薄いブルーで、その対面がピンクなど、いろんなところに色彩が施されている。バラガンはしっかり見学している。
※05
1948ルイス・バラガン自邸
バラガン作品はメキシコ土着民家の表現と言われているが、土着民家が外観に着色する習慣があるからバラガンの建築が土着民家の表現だというのは粗雑すぎる。バラガンの手法は土着の民家の着色手法とは全く違う物なのだから。それは当たり前なのだが、近代建築の色彩手法の系列に属するものだ。バラガンは初期(1927-36)からコルビジェからの国際様式をしばらく続けていて、閉じる空間に転じてバラガン自邸に至った。だからこそ色彩建築についても近代建築の系譜として解釈されなければならない。メキシコ土着民家は隣家との違いを競い合うことからくる部分に着色する手法(後述)であって、バラガンは外観全体をマッスとして塗り分けたり、面で違う色にしたりするもので、勿論民家の手法とは全く違う。そして土着民家の内部は白だけなのだ。けれどバラガンは室内の1面とか2面に着彩するところから始まっている。これはコルの手法からで、コルの室内の薄い眠たい色から原色に変わった手法なのだ。そしてその選択色彩がメキシコの風土からきているとしても、それが土着の表現なのではなく、それを超えた世界性の高度に抽象化された色彩建築空間に至っているのだ。(「こんなにも抽象度の高い建築は他に無いと思う」という安藤忠雄の発言がある。)尚それでも民家を感じさせるとしたらバラガン自邸からの作品によくみられる天井の太い木造根太や、床や階段やベンチや壁面に厚板が使われており、これが骨太木造民家風と見られることかと思う。
※06
1978バラガン ギラルディ邸
ここでは民家風の木材を使うことが玄関廻りに抑えられて、床も石張りになり、廊下の着色ガラスを通した透過光に光質を写して、室の移動が色彩空間の展開となる。(タウテスハイムの室移動色彩展開だ。)トップライトの直射光が使われたり、はたまた水中プールに仕掛けられた夜間照明によって「水も壁も柱も重力を失ったかのような浮遊感がある(齊藤裕)」、掲載写真右のように異界空間を作りえた。このギラルディ邸でバラガンは色彩表現の先端を透明感あふれる透過光に変えた。今までは反射光での物の質感を見ていたが、色彩の光を直接見る輝きの色に変わったのだった。ここが決定的にそれまでの作品とは違う異次元の色彩へと移行した。(プリツカー賞のニューヨークでのバラガン展では、ギラルディテイは竣工していなかった。当然バラガン最高傑作のギラルディ邸の写真展示はなかった。)
けんちく激写資料室
2003妹島和代 ディオール表参道
ここには反射光の薄く白い半透明な昼間、夜間の白く透き通る不透明な妖しい照明のビルファサードがある。この透き通りながら不透明な白、こういう光のグラデーションの魅力を実現したのはこのビルからと思う。取り上げなかったがいくつかのルイビトン、そしてガラストイレへと展開され続けている。
けんちく激写資料室
2020坂茂 ガラスBoxトイレ(はるのおがわコミュニティパークトイレ)
そのガラスには透明感のある薄い色がついている。これが夜間になるとガラスが光って透過光のグラディーションの色彩となる。この色彩はギラルデイ邸の夜間照明とディオールのグラディーションからだ。使われていないときには色彩透明ガラスとなって人がいない便器だけが見える。鍵をかけると色彩不透明ガラスとなってプライベイトトイレとなる。余りにも明確に使われており、いるのか、いないかがガラスBox全体で示される。安心感が段違い。こういう機能を色彩ガラスのBox全体で表現した。やっぱり色彩建築は透過光ガラス照明が美しい。ギラルディ邸で反射光ではなく、透過光の美しさが示されてから40年経ってしまった。(ガラスBox自体は前からあったが建築家の作品として登場したのがここだった。)
けんちく激写資料室
2021青木淳 並木通りルイビトン
これは色彩ガラスながら反射する光の波長を制御して、好きな系統=赤青黄色(3原色だ)だけ反射させるもの。そしてガラスは不規則に歪んでおり、色墨流しのように不定形なサイケデリック模様のようだ。だから街並みを写してもそれとは解らない鏡像や色彩となるのだった。妖しさマックスの鏡像だ。ところがこれ透過光ではなく反射光の色彩なのです。びっくり。だから夜間では真っ黒のビルとなります。グラスハウスには繋がらなかった(次が楽しみ)。モアレ模様(1999)や点照明(2004)の前ルイビトンが出現して、ガラスBoxトイレ(2020)の翌年に出現したが、ガラスBoxトイレが遅かったなー。
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続くタイトル年代順で
a)グラスハウスからガラスBoxトイレ ルイビトンへ
b)オットー・リヒター通り集合住宅とヨーロッパ民家(メキシコ民家とバラガン住宅)
c)シュレーダー邸からバウハウス・デッサウ校からワイゼンホーフ・ジードルングへ
d)タウテスハイムからギラルディ邸
e)ギラルディ邸からガラスBoxトイレ
f)ディオール表参道とガラスBoxトイレからルイビトンへ
上記構想が多義にわたっており、整理した言葉で書くのが大変と思っていますが、一応こんな構想です。書き進むうちに変わっていくでしょうが。相互の多重な意味があって、このタイトル内以上の広がり重なりで書かれると思います。順不同で書けるところから書いてゆきます。
閑話休題
0)コルビジェの色彩
コルビジェはサボワ邸の後、白派はあっさりやめてしまって、ブルータリズムなる打放コンクリートに進みます。そこでも原色は使いますが色彩は控えめに使います。一面だけとか、トップライトの内側とか、バルコニーの内側左右面とか。ところが晩年のインド議事堂1962では天井面全体にどぎつく赤黄色黒い雲型が圧倒的なボリュウムで迫ってきます。(※6
写真はリンクに飛んでみてください。)
1)ギラルディ邸1978とテルメ・バルス1996
色彩建築の系譜=私の知っている特徴のある好きな建築だけで流れを作りましたから、バラガンから坂茂の間が飛びすぎています。そこで探していると妻が「水中照明と言ったらズンドーでしょう。テルメ・ヴァルスでしょう」と言ったので。そうだったと激写資料室を見てみました。その通り。この妖しい浮遊感まっただ中の写真も、どんぴしゃりで凄い共通性があります。温泉ですから湯気が上がって幻想的になるのは当たり前と言えばそうなのですが。ズンドーと言うと渋い建築と思い込んでいますが、これも傑作で忘れるわけはないのですが、色彩建築の系譜に入るとは!自分でこれからの色彩建築は透過光の建築と言っておきながら、ズンドーが通過光の色彩建築に入っていたとは。ズンドーは渋い建築の頂点にありますが、内部深くにこの色彩があることは気付けずにいました。今回ネットの写真がうまくヒットして解ったのでした。
上からの光が構造的なスリットになっていて天空光だと言いますからすごいですね。グリーンの石からブルーの照明へと、同系の色彩を混合しているのですね。壁の緑が地元の花崗岩の色彩というのが良いですし、これに濃いブルーのダウンライトを組み合わせて妖しげな浮遊感がでて憎いです。
ここにギラルディ邸1978とテルメ・バルス1996の写真を並べてみました。これで明快に比較できますが、青、緑、照明の白線と可成り近いも設定になっていることが解ります。夜間に浮かび上がる世界は妖しく幻想的になっていることが確認でき、バラガンはここでは反射光ではなく、透過光の世界=水中の拡散光とその拡散光が白い壁に青く妖しく広がっているのでした。この妖しい青はズンドーによって青の照明に置き換えられて、花崗岩の緑が青く拡散されているのだった。また床の緑の相似は偶然なのでしょうか。
※6
ギラルディ邸食堂 左:昼間トップライトの太陽光 右:夜間水中照明に室全体が薄水色に浮かび上がる
※9 ※10
テルメ・バルス 左:浴場への階段 壁は地元のグリーンの花崗岩 トップライトのライン白光、右:ブルーの照明ながら水中照明と床はグリーン
※11
右:シャワー室赤色タイル 左:脱衣室 赤く染めた堅木の壁とロッカー 右端:玄関 妖しいブルーの電飾
また見直しているとホテルの個室内部がベットから何から何まで真っ赤な写真を見つけました。こういう派手な色彩を使える人なんですね。(その後グリーンの部屋、濃いブルーの部屋、白かオレンジの部屋が別棟であることが解りました。)ロッカールームは硬木を赤に染め、シャワールームはタイルの赤、(塗装ではなく素材そのものの色彩でやろうとしているのが解りますね。)そもそも入り口が怪しげな暗いブルーの電飾で始まるので、こんな破格なこともできるのですね。これは近代建築の原色派の塗装の系譜から、素材自体での色彩の方向に振って見せた物なのでした。実は振り幅の広い人で、渋い方も振り切った渋さということなんですね。状況次第でやれるところまでやってしまえる人ということでしょうか。(素材の面構成で見せるのは、ミースのバルセロナパビリオン1929からですね。)
※9 ※6
その後もっとはっきりと、ギラルデイ邸を継ぐ色彩デザインをやっているのではないかと思えてきた。(あるいはデ・スティルからの変奏)上の写真を見てください。共通項を挙げてみます。水面・水中照明・水中がグリーン、壁がブルー・幻想的なブルー空間、ライントップライト=色彩設定がずいぶん似ていますね。(テルメ・バルスでは赤は別室になってますが)空間の密度が違いすぎますが、基本色がこんなに揃っているのは何故でしょうね。
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2o22o529 閑話休題 2)近代建築の初期展開
近代建築への出発から展開を、アールヌーボー、セセッション、デ・スティルへと、その内的な造形展開(流れ)を解読する。
歴史様式の決められた歴史建築装飾部品の組合せから、アールヌーボーは歴史装飾を動植物模様へと=自由な装飾素材へと開いた。それとともに動植物装飾を建物面から浮きあがった扱いとしており、そのため装飾背景としての建物自体をマッスと捕らえる萌芽が生まれた。ここに歴史様式を脱した装飾を生むことで決別が始まった。
※k1ウィキペディア ジュール・ラヴィロット1900「イムーブル・ラヴィロット」入り口
セセッションとしてオットー・ワグナーは、マジョリカハウス1899で建物=マッス(キャンバス)にバラ模様が張り付いた=薄っぺらな植物模様の「表皮性」(全面)という捉え方を提出した。建物は石やレンガの重量体であることを、表皮性装飾で軽快に表現してゆこうとするもの。(建物の軽快さこそ近代建築の求めるもので、この後バウハウスのガラスカーテンウォールやコルビジェのピロティやと、現在も軽快な表現を求め続けている。)右の写真を見るとバルコニー付きの開口部が引込んでいるのが見える。これに伴って壁面が引込んでいる。バラの装飾模様もぬるぬると壁面に沿って引き込まれてゆく。これでファサード全面を表皮性の装飾で包見込もうとしていることが良くわかるだろう。入隅ではバラの葉がみごとに連続模様となっている。ところが出隅はコーナー役物が付けられていて、ちょっと連続性が絶たれている。模様付き出隅役物を作る余裕がなかったのだ。
※k2 マジョリカハウス1899atウィーンbyオットーワーグナー
決定的に近代性なるデ・ステイルの段階では幾何学白色立体構成で行くことともに、面構成を表皮性という捉え方で行くこととした。model of the
maison particuliere1923(写真下・モデルハウス模型) では立体マッス複合体の表皮面に、植物模様に代わってこれを抽象化した3原色とグレートと黒をランダムに配置したものだ。単面色彩による表皮性の徹底化を図っている。
※k3
ドゥースブルグのモデルハウス模型に、セセッションからの表皮性がデ・ステイルの三原色着彩手法に受け継がれた。この模型はキューブの複合体に三原色を配置しているが、隣り合う面に同じ色彩を使わないという原則をもっており、色彩面の表皮性=薄っぺらな色彩面という表現を実現している。けれどこのモデルハウスは実現していない。
シュレーダー邸 1924
リートフェルトのシュレーダー邸はデ・ステイルの考え方で実現されたものだとか、二次元のモンドリアンを三次元にしたものだとか言われているが、全く違う。リートフェルトはデ・ステイルの外観での面表現に3原色をつかうのは無理だと踏んだ。だから外壁を板面の構成とし、おおきな板面は無彩色で、線材にのみ三原色を使い現実の建物に対応した。そして板壁面構成を強調するために=二色のグレーと白と黒の無彩色構成としたのだ。傑作レッド&ブルーチェアーの板構成の作家ならではの板壁面構成建築と言うことか。これからの建築は無彩色の外観だ、という意識があったということ。
バウハウス・デッサウ校舎 1925
シュレーダー邸外観の無彩色の構成をバウハウス・デッサウ校舎が、建物ボリュームは壁面ではなくキューブ構成としながら、無彩色構成使用を引き継いだ。(リートフェルトの板壁面構成は退けられた。これからは柱梁構造が世界を取ると確信されていた。板構成は普及しないと考えられたのだ。)ということはドゥースブルグのキューブ構成の表皮性三原色も当時は無理と考えられたのだろう。(内部には3原色を引き継いでいる。)やっと私も気が付いたから、もう現代建築にはあるかもしれない。(次回に取り上げられると思う。)
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ここに書くことができた=デ・ステイル以前の思潮の系譜を思いつくことができたのは、二つのことからでした。
一つは5月初めにイナックスのタイル100年の講演で藤森照信がマジョリカハウスの「表皮性」に言及していて、これがドゥースブルグのモデルハウスの色彩の使い方が表皮性だと思い至ったのでした。この講演は相当に面白いものでした。この講演自体をまとめて報告したいと思って、メモを書いていたところだったが、発想の展開が先の方に行ってしまった。チャンスがあったらまとめたい。
それはヨーロッパには何故かレンガ「タイル」がないとか、バウハウスは塗装でインターナショナルスタイルを実現したのに、日本の分離派はインターナショナルスタイルを50角の虹のように輝く白いタイルを使ったとか、ライトの帝国ホテルはRCなのだがスクラッチ「レンガ」で仕上げに積んでいるとか、これをみんなスクラッチ「タイル」と思っているとか。日本では帝国ホテル以降スクラッチタイル全盛に。
ところでアールヌーボーから始まる近代建築の展開は、それまでの歴史装飾様式からの展開の帰結なのではなく、その否定と切断として始まった、と講演で語られたのでした。。建築家たちは自己の内面性を見つめることで、幾何学と3原色という全く新たな発想として近代建築を登場させたということ。(それでもコルビジェのサボワ邸などにシンメトリーとかプロポーションとか列柱とか古典的な価値観は残され展開されているのだが。)
※
藤森照信×若林亮 「タイルのこれまて゛とこれから」 4月12日(火) 15:00?16:30 藤森照信講演 YouTube 1:59:14
※
人類の建築の歴史 2005 (ちくまプリマー新書) 藤森 照信(著)
もう一つは「図説 近代建築の系譜」 アール・ヌーヴォー 吉田鋼市 1997
「従来の古典主義の形にはのっとらない新しい造形を、直接自然に取材して求めたのであり、・・・・・・それは様式的な細部のまたき否定にいたる第一歩であったということである。」この後「装飾は罪悪である」とか幾何学形態で行くことなどに結びついてゆく。最初の起点が明確になることで初期系譜の解読ができるようになった。
※
図説 近代建築の系譜―日本と西欧の空間表現を読む [単行本]価格: ¥3,520(税込)
2o22o522
※k1ウィキペディア
ジュール・ラヴィロット1900「イムーブル・ラヴィロット」入り口
※k2
マジョリカハウス1899atウィーンbyオットーワーグナー
※k3
De Stijl 1917-1931 デ・ステイル [著者] Carsten-Peter Warncke [出版社] Taschen [発行年] 1998年
20220606 訂正しました。
イムーブル・ラヴィロットの建設年を1889と書いていましたが、1900であることが解り(※下記1)ましたので訂正しました。1889はラヴィロットがアールヌーボーを試みた最初の作品の年と言うことでした。(※k1ウィキペディア ジュール・ラヴィロット)ですので、マジョリカハウス1899より1年後の作品となりますが、ラヴィロットは当初から変わらない作風で、アールヌーボーの分かりやすい作品(特に建物から飛び出した装飾など)と言うことで取り上げました。作品成立の内実から言ったらイムーブル・ラヴィロットからマジョリカハウスと言う流れと見て良い訳です。なおマジョリカハウスをアールヌーボーとする見解がありますが、ここでは表皮性に達した造形としてセセッショオンと解釈しています。
※下記1
Immeuble Lavirotte (Wikipedia)(高解像の写真があります。)
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2o221o15 閑話休題 3)紀尾井清堂に見る 初期近代性からの展開
今回近代建築の色彩について取り上げていますが、その過程で「表皮性」と言う視点を掴むことができました。この考え方でどこまで行くことができるか、現代建築の中に探してみようと思い付いたのです。
取り上げることのできる作品はいくつか浮かんできました。そこで今回は最近作であり、友人に提供されたDATAで「けんちく激写資料室」でも取り上げました、注目の紀尾井清堂を始めに取り上げることができたのでした。
そうです、内藤廣の紀尾井清堂もまた「表皮性」の手法をもって、新たな内外の複雑な関係を表現しているものであることを掴みました。こんな最近作で、しかもオーソドックスな建築自体の価値を表明する作品にデステイルからの系譜を見つけられるとは思いもよらなかったと言っていいでしょう。これを以下に書いてみました。
日経アーキの建築家による解説を読みますと、用途は出来たものを見て決めるから、好きな物を作ってくれと言う注文とのことです。条件らしきものは「縄文」という提示があったと。そこで1階は1層分(h3500 平面15000x15000)の天井面と4本の柱がコンクリート打放し空間で、床と壁が黒色の素焼き板廃材で暗く荒々しい感じを作っています。あるHPには「洞窟の中にいるような感じで横からの光が壁、柱、天井、床にあたり様々な陰影を造り出し“原始の光”の印象。」と書かれている。(※1 けんちく激写資料室で紹介)
2階以上が
パンテオンをイメージしたと言う、4層吹き抜けのホールで、柱梁はコンクリート打放しで、壁面が杉板張りクリアー仕上げで、層ごとに回廊と階段が付いており、
エッシャーの騙し絵のような感じがあると言われています。天井はコンクリート打放しで、九つの矩形のトップライトが開けられ、サッシの見えない=外部に向かってただ穴が開いているように作りたかったと言っています。すなわちこのホールが外部の感じを持つようにと、内外の感覚に繊細に注視しているのがわかります。あるHPには「トップライトは開閉するのですが、ゆっくり開閉する時に光が遮られる、あるいは光が差し込む様子は思わず祈りたくなるような神々しさです。」と書かれています。(※1
けんちく激写資料室で紹介)以上が内部空間の概要です。
私が注目したのは外観です。
遠くから眺めますと、コンクリート打放しのキューブ(15000x15000x15000)が、下部の暗がりで、全体が少し浮いた感じで作られています。
そしてコンクリート打放しの外装であるにも関わらず、全体が薄いガラス被膜で覆われているのです。こんなにも薄い被膜のようなガラスは今までに無いですね。コンクリート外壁から無数の角のような鉄骨でガラスは支えられ、存在が分からないくらい反射が少ない薄い皮膜は支えられている。通常ガラスを支えるアルミなり鉄骨なりのサッシ枠が無いからなのです。コンクリートは外装なのに、ガラスの外装に囲まれている。これは何んだろうか。
近付いてよく見ると単体ガラス板(2600x2600)は上下左右相互に50ミリの隙間が開けられているのでした。えー、この隙間から風や雨が吹き込むことでしょうね。雨の日にはこのガラス面に雨垂れが盛大に垂れ流れるでしょう。これは雨垂れを見る建物(ガラス面)なのでしょうか。
ガラス被膜で覆ったのに、風が通りますから外部になっている。これはどういうことなのでしょう。少しわかりました。このガラス面は透明な庇の機能を持っているようです。ガラス面の最上部の天板トップガラスには隙間がありませんから、コンクリート打放し面に雨は当たらないのです。風は通るが雨は当たらない、ですからこのガラス面は透明な庇の機能です、と言ってみました。きっと雨水をこのガラス被膜で守って、外部にあるコンクリート打放し面の、在りのままのコンクリート打放し面を存在させたかったのではと想像しています。都内では特に雨水で黒く汚れてしまいます。透明塗装の無い、コンクリートそのままの打放し面なのです。ざらざらごつごつの、杉板面転写で、コンクリートのノロも浮き出している、真正なコンクリート打放し面なのです。これを直射日光で陰影豊かに荒々しく、素であるコンクリートを鑑賞させたかったのでしょう。
まだあります。
コンクリート打放し面に、内部からの板張りが飛び出している、と言う見せ方になっているようなのです。そこには板張り仕上げの階段も付属していて、どうもここが玄関入り口のようです。コンクリート打放し外壁の「グレー」に、板張りの内面である「イエロー」が、玄関表示となっていると言うことです。ここを「内臓が飛び出している」と書いているhpがありました。強調した言い方になっていますが、適切な表現と思います。※1
けんちく激写資料室より
そしてこのコンクリート打放し面と、板張り面が出隅でぶつかっているところに注目します。コンクリート打放し面は杉板型枠で、杉板の板目をコンクリートに転写しています。また板張り面も杉板で透明塗装していますので、濡れ色でイエローに見えます。このコンクリート打放しの杉板面の転写された=虚の杉板面と、実杉板面との出隅の出会いは、枠棒で縁取られ間を置かれてしまった。残念。(写真を加工して実と虚が直接出会う出隅を作ってみました。下部写真)
この関係で思い出すのが、コンクリート打放しはコンクリートの表現ではなく、型枠の表現だといった林昌二の言葉を思い出します。紀尾井清堂のコンクリート打放しと実杉板との出隅での出合いは、コンクリート打放しは型枠板の表現だと言うことを明快に表すものになっていますね。このこと(林昌二の発言)も建築家の内面にあって、この虚と実との現場での突合せが実現していると思わせます。
これらのことは近代建築の内外関係と表皮性というテーマの到達点の、複合表現を獲得したと感じます。透明なガラス庇、外壁のコンクリート、内壁の杉板、この三者が単一ではない複合した意味を担わされて入り組んでいます。
もう一度書いてしまいますが、
透明なガラス面は内外を明確に仕切らず、雨風を誘い込むカーテンウォール(庇)として。コンクリート打放し面は風雨にさらされる強靭な外壁ではなく、その繊細なざらざらした素材感を無塗装で保つようにガラス被膜で覆われた。杉板塗装面は内装材であるにも拘らず、外部に露出している。と言うようにそれぞれの普通の単一な意味を裏切った使い方で、近代建築・内外概念を高度化した。
あらためて近代建築の表皮性の高度化へと向かう展開をたどってみます。
アール・ヌーボーで建物本体のマッス性と、それに付加された動植物模様の表皮性が見つけられた。
マジョリカハウス1899がレリーフ動植物模様を平面にしたことで、薄っぺらい表皮意識が捕まえられた。
マジョリカハウスの平面模様を、三原色面構成へと導いたデ・ステイル。ドースブルグのモデルハウス模型1923に示された=白い複合キューブの中の単一色彩面という=より薄っぺらい色彩面と言う手法が創られた。この模型の色彩面たちをを見つめていると、キューブ性を離れて、面だけで構成されているように見え始める。そうこの面だけで構成された建築というのがシュレーダー邸ということです。(ここの色彩展開は後に丁寧に記述します。))
でもシュレーダー邸はモノトーンの壁面で構成されている。色彩は線材たちに大人しく使われた。シュレーダー邸はモンドリアンの絵画を3次元に置き換えたと言われたりするが、全く違うでしょう。三原色構成は建築の外観には使えないと言うリートフェルトの判断があったのです。
デ・ステイルとは表皮性を「色彩」面構成で実現するものでした。これをミースはバルセロナ・パビリオン1929で石素材で壁面構成を実現し、「素材」壁面構成に建築表現を移したのでした。
ところでシュレーダー邸の無彩色壁面構成は、バウハウスデッサウ校に無彩色キュービック構成として引き継がれました。おまけにガラスカーテンウォールもキュービックのように構成されています。
これで紀尾井清堂の要素は出そろいました。バウハウスのようにガラスもコンクリート打放しも、板張り部分でさえキュービック構成です。そう、バウハウスと違い無彩色面を素材キューブ構成としたのが紀尾井清堂です。三素材キューブ面(ガラス面・コンクリート面・杉板面)が写し取られて、しかも「内外」と言う機能の意味が込められて=近代建築のテーマ=表皮性と内外機能性とが密接に結び付けられ、ここに開花した。
建築家は「建築それ自身にしか回収できない固有の価値があるはずだ」と言っています。外部についてだけですが、書けたつもりになっています。
注:(日経アーキ掲載の断面図には 外壁:コンクリート打放し 撥水材塗布 と記入があります。)
2o221o13 mirutake
注※1 けんちく激写資料室より
626 紀尾井清堂 2020 photo by togashi shunsuke 2022.06
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第一回は色彩建築を近代建築史に位置づけたいと思ったバラガン ギラルディ邸から (予定)
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