東京文化会館1961、香川県庁舎1958、スカイハウス1958、丹下自邸1953
に見る和風の外へと流れる床面意識

   
ーーー近代建築に見る隠れた和風ーーー物の意味を読むーーー



                  photo by mirutake 201905


東京文化会館の4階会議室階・屋上テラスの見学に行ってきました。
ある著作で東京文化会館にはあの大曲がり曲面の庇の向こうに会議室階があり、そこには屋上テラスが広がっているという報告があったからでした。これは是非見てみたいと行ってきたのでした。著作の写真とか、新建築誌1961の写真・図面などで事前に少しの植栽と広場状の場があるということを了解していました。結構なスペースが会議室使用者にも開放されず、大ホール4階から屋上テラスに出られるようになっているが、使われていないこともわかりました。大変残念なことです。また小ホールに付属している庭園も使われていないようです。

本題にはいります。和風の外へと流れる空間意識に絞って取り上げていきます。
外から東京文化会館を見た時、大曲の庇壁が大きく立ちはだかるように外観上部に曲面を構成した外観の特徴として構成しています。ですから、4階会議室からは高い腰壁が立ちはだかって、屋上テラスを囲んで別世界を作っている筈だと思っていました。基本はそうであることに間違いありません。けれどこの大曲立上り庇壁は、ところどころに開口部を作っていたのでした。そうです屋上に立つ人が外を眺められるように開口が開けられていたのです。外観からもよく見ると、大曲面ひさしに開口が開けられていることが気づくことができます。

東京文化会館 会議室入り口 大曲庇が見える

屋上テラスが広がっている。

大ホールのトップライトが見える、奥に小ホールの屋根、右手に大ホール上部屋根。小さく石のベンチがある。

会議室入口上部の大曲り庇上部。

足元にも横長開口がある。塞ぐように銅板の立ち上がりが見える。手前に鋳鉄グレーチング。
そして現場に行ったからこそ気づいたのですが、大曲がり曲面壁はところどころのの開口だけではなくその下に、屋上テラスの床がそのまま立ち上がり無しに外へと意識が出て行ってしまう横長小窓が付いていたのでした。どうしてこんな面倒な作り方をしたのでしょうか?
上部の開口だけで良いとも思われるのですが、足元が空中へと抜けてゆかなければ納得できなかったのですね。
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大曲り庇の断面図、上部開港と床面ゾロに横長開口がある。
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床防水が横長小開校手前で速攻に潜って立ち上がってくるのがわかる。PC笠木で防水を抑えている。図面では床ガスっと空に抜けてゆくが、現場は銅板笠木が追加してある。
ここは普通に作ったら屋上屋根ですから防水が立ち上がるところな訳です。腰壁が付いてしまうのが普通の在り方となります。ここ東京文化会館でも屋上を大曲り曲面壁で覆って屋上空間のまとまりを作っているのですから、立ち上がりを普通に作っても納得できるところです。それが防水が立ち上がらないように大曲立ち上がり壁の手前床に大きな側溝(幅500)を作って、一旦防水層を床下にさげてから、測溝下からまた立ち上げてくるという大変面倒な作りとしています。こんな面倒な収まりとしたのは、そうですあの横長小開口を屋上床面にぴたりと収めたいがためなのです。これは一体何を目指しているのでしょうか?

私には解りました。私が長年追いかけてきた、和風の畳>濡れ縁>庭空間へと抜ける和風の空間様式をここに再現しているのです。建築家はこの屋上テラスが閉じた空間であることを守りながら、部分的には開いて外の公園が見えることとともに、床面の広がりが屋上面から外へと流れてゆく床の広がり感をも合わせ持っていたいと考えたのだと思うのです。そう適度の外への広がり感のためには、横長小開口でなければならなかったのです。それがこの200ミリの高さでした。これ以上開けると高いことの怖さが出てきてしまうからです。上の開口は怖さの無い景色が見られます。これだけでは高さの広がりが得られないのです。そう適度な空中での広がり、適度の高さ感が欲しかったのでした。。濡れ縁先端のように見える床のデザインがしたかったのでは、と思うのでした。

新建築1961の矩計図と、現場での写真とか相互に検討していると分かったことがあります。
現場では屋上の床から例の大曲庇の壁部で床が横長小開口から出て行くとき、銅板の笠木が100くらい床より上がって収められ改修されていました。これえは開口高さが半分です。これでは床面が外へと広がる流れる感覚は訪れませんでした。
ところが原設計矩計図を見ると床からはまっすぐ外に向かっており、終端のPC笠木!も床ゾロに収められ、笠木部内水勾配を取ってあるのみで、床が外に抜けて行く納まりになっているではありませんか。

こう言う床が空へ抜けて行くというのは和風の畳>濡れ縁>庭>空への納まりなのです。
そしてこれは当時(1958-61)の建築家達の公共建築や住宅建築の共通の「床から空抜ける」納まりなのだと気付き始めたのです。

けんちく激写資料室
香川県庁舎 低層部と後ろに高層部。
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高層部基準会内部写真 床面がすっとバルコニーに流れ出している感じ。
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低層部矩計図 見づらいが足元のサッシ敷居が持ち上げられていること、そのままバルコニーへと連続した高さになっていること、
先端でちょっと立ち上がりをつけている。

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足元の拡大詳細図 114持ち上げられた敷居 奥行186の枠がしっかりついている。
次に丹下健三の香川県庁舎を見ます。
日本建築の繊細な木造架構をコンクリートで再現した傑作としてあまりに有名です。
基準階の詳細図を見ますと、室内からバルコニーへとむっ勝手サッシのところで、敷居が150くらい持ち上げられています。その持ち上げられた敷居の下には嵌め殺しガラスが幅広の枠に収められています。そう床面への意識がサッシに遮られず嵌め殺しガラス高さ114ミリからスルッと外に流れてゆく感覚があります。どうしてこんな面倒くさいサッシの取り付け方をしたのでしょうか?
そこからバルコニーの手すりに向かった意識はそこで少しの立ち上がりに出会ってしまいます。ちょっとぶつかりながら空へと意識は出てゆきます。

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スカイハウス 外観 菊竹清訓自邸
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内部 敷居が持ち上げられている。天井部嵌め殺しガラスも枠無し。
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サッシ詳細図 110ミリ持ち上げられた敷居 嵌め殺しガラスが床に枠なしで納められている。
同じ竣工年に菊竹清訓のスカイハウスがあります。
これもまた戦後期にあって男女の合意のみによって営まれる夫婦中心の家族像を謳いあげたワンルーム住宅としてあまりに有名な作品です。
ここでも室内からバルコニーに向かってサッシが普通につくのではなく、敷居を一旦150くらい持ち上げて、そこに下枠なしに嵌め殺しガラスを床直収めとしています。枠なしですからスムーズな流れを作って見せたと言えます。見かけで110ミリ浮き上がった敷居という在り方、床面からの意識がバルコニーへと這って出てゆきます。これもまた畳面>濡れ縁へと流れ出てゆく意識と同じものを感じます。
ところがここでもバルコニーの手すりのところで35ミリ立ち上がっていて、物とかがすんなりとではなく、流れ落ちないで、少し引っかかって流れるようになっています。
(このことは現代なら二重床として解決しています。防水を収める立ち上がりのある防水床面と、その上に人の歩く床面を板床で作ると室内>バルコニー板床>空中へと大変スムーズに床面の流れを作ることができます。現代でも追及が続いているのでした。)


香川県庁舎でもスカイハウスでも内外のサッシュのところで、床から上げたところにサッシュの敷居を取って浮かせた感じとしています。床に直にガラスのフィックスH=110位を取って、サッシュが浮いているように工夫をしているのでした。これは床を流れる意識が内部からフィックスガラスを通ってバルコニーにスーッと抜けて行くことを目指していることが分かります。サッシュの納まりとしては両方とも大変めんどくさいことをやっているのでした。市庁舎と住宅建築に共通に同じことがやられているのは驚きです。ここには近代建築に和風の外に流れる空間意識をどう実現して行くのかの意識があり、畳>濡れ縁>庭>空へと流れるような外への意識を作っていることを、近代建築に実現しようとしてると思います。おまけにこの香川県庁舎とスカイハウスは新建築誌196106月号に一緒に乗っているのです。巾木部FIXガラスのアイデアが同時に起こり、奇跡的に同じ雑誌に載っているとは。

3つの作品を和風の床面に流れる外への意識とまとめてみるべき価値として提出しています。今回は二つのポイントとして取り上げました。一つは東京文化会館でバルコニーの先端で流れをスムーズにどうしているのか。二つには香川県庁舎とスカイハウスが、サッシが室内からの流れをスムーズにしているかと言うことでした。

これらの作品に現れたものは、建築家たちに共通してみられるとともに、共通して確かに意識された和風の構成への、無意識として持たれているものだったと言えるような気がするのです。

この3つの例から、当時の建築家たちは和風の内部から外部へと流れるような床からの浮遊意識を近代建築に取り入れ残したいと思っていたのでした。なんということでしょう。こういう和風の庭への空間意識はもう失われたのかと言ったらそうではありませんね。実は現代建築にも見出すことができ、海外建築(デヤング美術館)にさえこれが実現されています。

足元に限定して書いてきましたが、天井面も同じことになっていますね。足元のFIXガラスより高さが取れますので、解放感や通り抜け感は大きいです。香川県庁舎もスカイハウスも開口部はまったく同じコンセプトと言えるのでしょうか。この天井がフラットに軒天井になって行く形は、フランクロイド・ライトのロビー邸から始まり、リートフェルトのシュレーダー邸で内外完全にフラットな形となり、ミース・ファンデル・ローエのバルセロナパビリオンへと受け継がれ建具が大ガラス一枚ものとなり、清家清の住宅建築にもフル開口で広縁に発展、などからの継続として展開でてきているものと思います。

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丹下自邸 外観 外観は縦横線だけが見えるが、実は切妻三角屋根の住宅建築。
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内部から濡れ縁を見る (欄間が嵌め殺しガラスで、天井とは枠無しのように収められている。竿縁天井がそのまま外部へと連続して軒天井となっており、すごい。室内用の天井板が軒天井という外部環境に曝されているのか。)
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濡れ縁を拡大する 濡れ縁床と横手すりの空きに注目。
丹下自邸と言えば桂離宮からの引用だと言われてきました。
濡れ縁の細部見てみましょう。畳床から濡れ縁へと連続面が途切れずに空中へと飛び出して行く手摺仕様になってます。和風様式ですから当たり前ですね。ここでは床板が先端でスルッとそのままで切断された収まりであることに注目してください。普通にやったら香川県庁舎にしても、スカイハウスにしても立ち上がりがあるのです。丹下自邸は木造の濡れ縁だから当たり前と言わないでください。木造でも1階はともかく2階では結構しっかりした手摺を着けてしまう方が当たり前なのです。

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桂離宮 楽器の間 縁床と横手すりの空きが大きいことに注目
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桂離宮 新御殿広縁 やはり縁床と横手すりに注目(高さが低い)
桂離宮の新御殿の濡れ縁です。その空中へと飛び出す手摺仕様は同じですね。こちらの方が簡潔で、しかも空中への流れが良く確保された中間手摺の高さ位置となっています。

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老舗料亭八勝館1950 これは桂離宮研究者としても、和風建築設計としても有名な堀口捨巳
和風でも立ち上がり巾木のある例を載せます。
桂離宮のの月見台を模した縁側に突き出したもので、ここの簀の子竹の手すりの床面にもしっかりした横部材が付けられている。これはどうしたことか?桂離宮の庭に抜ける濡れ縁のようになっていません。(桂離宮の月見台は手摺さえありません。)私はこう想像します。ここでの会食は椅子式なので洋風のまとまった空間の完結感が必要だと建築家は思ったのではないかと。で、しっかりした立ち上がり巾木部材を付けたのではないかと思います。

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月見台に向かう畳広縁です。写真左側の手摺の付き方とガラス戸の框を見てください。
そして月見台につながる廊下では普通に立ち上がりがないのです。一階の廊下ですから当たり前なのです。けれどそこに付くガラスの建具の框のなんと高いことか。高さ250くらいかな。濡れ縁ではないのでガラス戸は当たり前ですが、ガラス戸のかまちに洋風の囲まれ感を確保したように感じます。

(ここで思い出す住宅があります。アアルトがマイレア邸1938で庭に面する大開口掃き出しを作りながら、框の高い寸法のガラス戸を付けたのに似ている。それは和風に憧れてやった=居間から庭に、フラットな連続感のする床を実行するのですが、やはりその開放感に堪えられず、建具の框をやたら大きくし、おまけにその建具の内部にh600程度の本棚を立てて解放感をなくし、流動感を殺しているのでした。)

それはここでの建具も重厚な洋風ということでしょうが、開放感を殺しているのでした。それはここの月見台もそうですし、椅子座を導入すると洋風の生活様式=まとまった完結した室内というのが洋風なので、いつの間にか和風でも囲われているということになっていってしまっているのではないでしょうか。このころの建築家たちは方や洋風の生活を導入するのに苦心しているのです。(藤井厚治の聴竹居も縁側と呼びつつ何時の間にかガラス張りの室になっているのでした。これと同じ)洋風圧力が和風八勝館にも吹き込んでいるのではないでしょうか。

   追記
自己体験としては居間の南側の開口で、巾木高さ分サッシを上げるのにもチョット抵抗があった。それでも巾木分くらいでも、チョット上げると室のまとまりが出てくるようには思えた。今まで通りの掃き出しも捨てがたいが、だらだらと室が外へと流れて行っているとも思えた。言えるのは掃き出しサッシが和風なら、巾木ひとつサッシを上げるのが洋風を意味していた。すると香川県庁舎やスカイハウスでやられていることは敷居を上げながら敷居下部が抜けている。室のまとまりを作りながら床面から抜けていっているという、二つの価値を満たすことを狙ったということなのでしょうか?なかなか高度なことを仕掛けながら、忘れられてしまっていると言うことなのだろうか。
これらからは洋式の建築を作って行くにしても、和風をどう生かすかという試行があったと見えてくるのでした。

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東京文化会館 4階会議階屋上テラス
photo by mirutake 201905
       naito tasuku
       阪根宏彦


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     東京文化会館4階会議階屋上テラス見学まとめ

概略から  1961年竣工 当初「音楽専用」ホールとして計画があったが、その後会議室、音楽資料室、レストランなどの複合施設建築となった。神奈川県立音楽堂などを手掛けた音楽愛好家としての前川としては、オペラも上演できる本格的音楽ホールとして存在感を表現したかった。そこでコルビジェばりの曲面大庇をもって1階部分の音楽施設を圧倒的な存在感として表現した。だからみんながこれは音楽専用ホールと思っている。クラシック音楽の殿堂オペラの聖地として名高く、音響的にも音楽家達から魔術的な最高のものと評価が得られている。まー大曲曲面庇は当初コルビジェのようだと批判があったけど。

そして建築愛好家も、音楽愛好家も誰も知らない会議室階があることが、目立たないような作りとなったのでした。その曲面大庇に守られた別世界が=屋上庭園(会館事務局の呼称による)が人知れず音楽大施設の上に存在していることを知ったのでした。(これらのことを傑作「山梨式 名建築の条件」日経BP社※10で知りました。)


これは是非体験したいと思い、なんとか実現することができました。
見学始まり  一階に事務局があり、会議階エントランスは「楽屋口」と呼ばれています。ここにも会議用途を目立たせない意向が見えるのではないでしょうか。EVで4階に上がります。
4階は会議室ロビーで少しの広がりがあり、掃き出し窓の外はあの曲面大庇の「裏」が見えます。何か事務局の裏スペースと言う感じです。でも壁は三角の落ち葉のような模様とも見える白いタイルや、重厚な四角形のタイル。内部なのにタイル張りです。階段室やEVシャフトは打ち放しのコンクリートの円形チューブとなっています。内側はブルーの塗装となっています。

各会議室には暗い廊下から向かいます。トップライトも仕込まれていますが暗いです。今日は快晴25℃くらいか。壁は内部であるにもかかわらずタイル貼りです。

外の床が200くらい内部の床より上がっています。段を上がる感じです。改修でこうなったのかと思いましたが、当初からのものと確認。図面でも確認。内外のサッシの所では設計者は普通にやっているということですね。

屋上に出ます。トップライトのピラミッド型が見えます。(新建築図面と比べると改修されています。)下部ホワイエのトップライトが連続してつけられていますね。これを整形植栽が囲っています。良好に整備されています。
結構な広さの屋上です。床は重厚な焦げ茶の大型タイルです。石で作ったベンチが散見されますから、設計は屋上に一般会議の人の出ることを意図していたことが分かります。

会議室が見えます。打ち放しの柱型、床までの全面開口の片引きサッシュです。全て白いカーテンが引かれています。私たちの見学があるので全てのカーテンを閉めたのでしょうか。いつもこうなのでしょうか。会議室を使う人も出られない屋上テラスです。
煙突や大ホール客席階の壁が=例の砕石嵌めこみPC壁が立ち上がっています。
音楽ホール4階客席ホワイエで最上階の屋上への出口が框付きガラス両開きで見えます。内部に黒と赤の遮光カーテンで隠しているのが分かります。非常口ながらスチールフラシュドアではなく「框ガラス」であることは、4階客席ホワイエから見せるし出られることを設計が考えていたことがわかります。また縦長の窓もあります。4Fホワイエも明るくしたいのですね。

周りは例の曲面大庇の裏側です。壁部ではうすい青系のペイントが剥がれているのが分かります。
現場打ちコンクリートの柱・壁にPCの笠木と言う作りです。この曲面大庇のPC壁面には結構開口が開けられていることが分かります。下から屋上の人の顔が見えたら会議室階があることが下から分かるようになっていると思えます。
足元を見ますと、幅500位のグレーチングが通しでついています。なんでこんなに大きなものが付いているのか、後で図面を確認してやっとわかりました。

この屋上テラスの防水床が外に向かって平らなままでPC笠木に収まるようになっているのです。驚きです。こんな立ち上がりの無い防水層の納まりがあったとは。そのために、500幅もあるグレーチングを敷いて大きな側溝を作っているのでした。そう屋上の雨水排水はこの大きな側溝にどんどん排水されるので、この雨水の落ち口の反対側に、防水立上り納めを可能としているのでした。すごい、そしてこんな面倒な納まりがなぜ必要だったのか。ひとえに床がスーッと外に抜ける部分を作るために、濡れ縁先端のように見える床のデザインがしたかったのだと思うのでした。現実には床はすっと抜けていかず、100ミリくらいの銅板が立ち上がってしまっているのでした。


雑誌新建築を調べていると、丹下健三の傑作 香川県庁舎1958と菊竹清訓 スカイハウス1958の内外境界の下枠サッシュを110くらいFIXガラスで持ち上げるというのが、内部床面がすっとバルコニーへと流れてゆく感じが同じなのです。FIXガラスで床仕上げがゾロで外に出て行く。香川県庁舎はコンクリートで日本的(弥生的なもの)なものを目指した近代建築の傑作。スカイハウスもピロティで持ち上げた一対の夫婦の場を高らかに謳いあげた戦後核家族の成立を表現した傑作です。これらは和風の畳>濡れ縁>庭>大空という空間の流れを継承している。こんなにも3人の建築家のやっていることが符合している。なかなかデテイルをここまで見てゆくのは難しいです。同時代の建築家たちは同じことを考えて、いろんな追及をしているものなのですね。

                      2o19o63o mirutake


※1 雑誌 新建築196107

※2 「マド」の思想―名住宅を原図で読む 大型本 2010/5/1 古谷誠章

※3 京都の御所と離宮B 桂離宮 (京都の御所と離宮 3) (日本語) 単行本 2010/9/17 三好和義 (著, 写真)

※4 2016年08月04日 八勝館 諸江一紀建築設計事務所のブログ

※5 スカイハウス 白石建設

※6 丹下健三 丹下邸/1953年(現存せず) Special Contents 建築家の自邸の名作。BRUTUS


※10 「山梨式 名建築の条件」日経BP社



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