ブラジル先住民の椅子に見る 和風の浮遊する床への接続
ブラジル先住民の椅子展
南米大陸、ブラジル北部のアマゾン河 や シングー川流域で暮らす先住民の人びと。彼らの作る木
造りの椅子を、ベイ出版は(ブラジル・サンパウロに拠点を持つ美術・建築関連の出版社)で、51年以上前から椅子の収集を行ってきました。同社の持つ3
0 0 点を超えるコレクションの中から、選りすぐりの約90作品を展覧する、世界でも初めての機会となります。 (パンフより要約)
>>生活道具から、空を飛ぶ動物椅子から、民芸芸術へ>>
15x42x45cm 14x41x43cm
今回の展示での発生史的に最も古い椅子。
女性たちの生活道具として使われていたと思われると解説されていた。シンプルで、実用の物なのだろう。土の床から浮かせるための最低限の足。亀の首に見えるものは、取っ手として使われたのか?亀のイメージから逃れられなかったのか。
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前記よりは新しく、亀のイメージも残っている,やや足が高い。
30x35x40
スツールになって機能的な形になった。座は平面形となり、足も踏ん張る椅子の足だ。椅子の座、椅子の足という機能分化形態になった。
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シンプルな動物形態に装飾文様が付いた。ジャガー(亀)、ハチドリ、コンドル1、コンドル2。 空を飛ぶ鳥ゆえに、上空から村落を見下げることで、シャーマンの意識は高まった。濃く着色されている。コンドル1の足は一本足の台座風だ。コンドル2では椅子の足形態。背が矩形となって座の平面性を強調している。
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シンプルな動物形態に木目を生かしたという造形になっている。透明系の仕上げなのだろうか?文様を付ける前の時代に成ったと言っていいのだろうか。木目を美とみなすのは結構新しい気がするが。カオグロナキシャクケイ
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文様が鳥の形態にマッチした密度を持った。スグロハゲコウ、コンドル この写真では陰になってよく見えない。
下方から撮影の写真追加。コンドルの足が実写的で少し立ち上がる姿勢だ。
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サルが空を飛ぶのか?木から木へ飛び移ることは空を飛ぶことだった。座が丸くなっているから、椅子という意識が薄れてきているかもしれない。この下の動物形態に近い時代か。ここではまだ椅子の足であり、空飛ぶ椅子足ではある。
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背は完全に丸くなり、動物の造形ということ。尻尾も造形として扱われている。でもおなかは薄く、サルはまだ椅子の意識を残している。
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ここまで来て完全に動物形態となった。とても小さいものもあり、民芸品、お土産としての形態になった。ジャガー
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色が薄くなって、リアルになったということなのだろうか。ジャガー
それは座る部分が平面状の板となっており、平らの背のサルとか、エイとかの幾つもの動物たちの種類があった。
例えばコンドルとか空を飛ぶ動物に変身して力を得るというのは解りやすい。
次には水中を空飛ぶように自由に泳ぐエイというのもわかるかもしれない。ではサルが空中を飛んでいるかのような姿は。きっと木々の間を自在に飛ぶイメージだろうか。
現在は民芸芸術として背が丸くなって、動物らしく遊具になった。
背の平らな腰掛動物は、これに跨ってシャーマンがトランス状態となった意識は、空中遥か上空を飛翔して、部落の在り方を遠望していたのだ。この始まりは展覧会解説によると4000年前からと伝えられるから、古代エジプトの時代頃、権力者や呪術師の椅子が共同観念の象徴を担ったことを思わせる。遠い昔から伝承された物は、シャーマンが共同体の行く末や村人の病気を治す祈祷の道具として使ったとある。屋外でですが、シャーマンだけが動物の椅子に座り、そこを取り囲んで村人達が、リズムを取りながら何かを唱えている動画も紹介されていた。
この展示で示されているように、この大木から切り出された動物の椅子の始まりは、日常の家事を行う最も低い高さの腰掛に始まり、権力者やシャーマン(呪術師)の腰掛に高まったのだ。そして現在、ブラジル先住民の末裔による民芸品となった=座らない腰掛が、動物そのものをかたどるようになって、その平面だった背中も丸くなり、実用の椅子をも離れて、芸術を唱える民芸品となっている。
このことについて中沢新一の文章※1にある民芸品になった動物たちは、私たち「人間を見つめている」というものだった。そう!動物となった共同体の共同性の象徴まで上昇した歴史を持つ動物腰掛は、現在に降りてくるにあたって(芸術民芸)、その自然への畏敬を現在も変わらず内包していると。このことが展示に実現された。
それは新館での最終展示に伊東豊雄の展示仕方に端的に示された。床も壁も真っ白な展示室。動物たちが周縁の壁を背にして中央を見つめている。その見つめられた中央には大型小型のビーズソファーを多数配置された。鑑賞者は現在の先端の大型安楽椅子(ビーズソファー)に身体を預けて座ることになる。この時ソファーにしっかり身体を拘束されて、動物たちと同じ視線の高さで、大小さまざまな動物たちに囲まれて、互いに見詰めあうことになる。人間たちは自然から見つめられている、という中沢新一の「人間を見つめている」構図を伊東豊雄は見事に配置した。
>>人間を見つめる動物椅子>>
最後の展示は特に秀逸だった。
この展示室では床・壁が白色で、動物たちは壁を背にして中央を見詰める配置でした。白いPタイル床に直に置かれた動物達と対面する配置で、白いビーズソファーが置かれているのでした。しかしよく見ると、床には展示動物との境界を示す10ミリほどの黒点が点々と波打つように境界を示しているのでした。それはビーズソファーに座り落ち着いたところでやっと気づくぐらいの優しい表示でした。ですから気づかすに動物たちの後ろに回ってしまって、注意されている人もいたのでした。ここでは動物の視点の高さに合わせる形でビーズソファーが配置されたと思います。地続きというか床続きで動物と見詰めあうべく配置されたのでした。ここに鎖が出てきてしまったら動物園と同じになってしまったところです。この自己意識を消した床点鎖の展示作法には心服するばかりでした。
またこの最終室の展示では丸テーブルに動物たちを載せて展示された動物に触らない境界を設けたり、歩行する部分に無地のカーペットを敷いて、動物達はこの館の寄木張りに載せていることによって、展示領域を明示しているのでした。それは展示物前にくさりロープを張らない仕様を工夫していることが感じられた。分けても床の寄木の色合いと展示動物の濃い茶色の、なんと一体化していることか。前からここに置かれていた、動物の装飾もこの館に合っている、そんな感じもしました。
そういえば丸テーブルに乗せたのも動物達が背が低いからなのだが、このテーブルが進入禁止の境界でもあるのでした。それでも鎖を廻すのが普通の展示ではないか。鎖が無くて良いのだというのは建築家の強烈な自己意識を感じる。何気なくサラッとやっているから余計にそう感じる。強く主張しないと実現できなかったと思う。
シャーマン(呪術師)が使ったと思われる座面の平らな動物椅子は、一体どんな風に座ったのだろうか。コンドルをかたどった動物椅子には、コンドルの首の左右には太ももがそのまま当たるようなRのくり抜きになっているから、コンドルの首に跨ったのかもしれない。けれどこの座面の平面性はどうだ。私たちが普通に想像する跨るやり方ではどうにも広すぎる。そこで思いつくのはこの平面に胡坐(あぐら)をかいたのではないか?ということだ。そうだ胡坐だということになったら、これは床となる。ブラジルでの先住民の生活様式は土間だから切株で作った椅子を使用していったたんだろう。その発展形が呪術師の使う背の広い平面な椅子だった。この椅子座にしては大きな平面すぎる座は、胡坐の為か、空を飛翔するイメージを補強するためには必要だったのかもしれない。
ここまでくると、高床の民族もまた空を飛翔するイメージを持っていた筈だと言いたい。なぜなら高床の民族もまた巫女や呪術師はトランス状態になった意識は、村落の上空を飛翔。共同体の未来や利益を守ってゆく共同性を宣託したと思われるから。そう高床の平面でも飛翔するイメージを描くことができるのは、先史からの伝統ということになる。そして和風の室内から庭を見る作法の浮遊する床や意識は、先史から繋がっているということ。
ヨーロッパでは単なる生活道具としての椅子に完結した。近代以前には内外非関連個室群住宅生活様式だったから。
それにしても本当にそうだろうか?ヨーロッパではもう椅子に乗って空を飛翔しないのだろうか?
日本では空中飛翔は高床に継がれ 、和風の室内から庭を見る作法に、今も生き残っている。そしてマンションの和室からバルコニーを通して空を見るというふうに。
私の想像は飛翔し過ぎたか。
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miruake
※1 土間や床に座っている患者や一般人たちからすれば、バンコに座ることで呪術師や首長は、地面を離れて少し高い位置(天に近い位置)につくことになる。しかしバンコの高さはく低作ってあるので、天にあまり近づきすぎることもとなく、適切な距離で地上と天を媒介する中間的な位置にあると言える。その中間的な位置こそが、インディオの世界では、人間の主権者にふさわしい、地面からの距離と考えられている 。
腰掛に刻み込まれた動物のものである「外の眼」が、モノの奥から静かに凝視している。地球の主権者である人間のことを批判しているのでも、攻撃しているのでもなく、またこの状況を悲しんでいるのでもない。ただ鏡のように、人間世界の外から我々を見つめている。
注:バンコ=腰掛
「ブラジル先住民の椅子」から(美術出版社 20180630) モノの眼 中沢新一 より(本展覧会の冊子)
※2 「名作椅子の由来図典」西川栄明著 誠文堂新光社 20100123発行
後記
居間に座って外を見ていると、マンションのバルコニーから外に向かって意識が浮遊する日常体験がある。これは和風の伝統の濡れ縁から外に向かう浮遊意識が、私の身体に入っているということだと思う。私は和風「床座」の空を飛ぶイメージを建築解釈として提出してきたが、ここにきて古墳時代には「椅子座」(腰掛)の空を飛ぶイメージが共同体にあったことが見えた。
ブラジルでは腰掛で空中浮遊する歴史が、民芸品や芸術に展開したが、ここでも腰掛けから背もたれの付いた椅子に変わった時があった筈なのだ。現在ブラジルでは背もたれの付いた椅子で生活しているのだから。((だから腰掛から椅子に変わった時、シャーマンはコンドルの腰掛ではなく違う方法で空を飛ぶ方法を見つけているか、シャーマンが終わったこと=村落共同体が終わったことを意味しているのではないか。))
方や生活用具としての椅子の歴史は、当初はブラジルに見るように(また日本に見るように)腰掛けから出発した。それが背もたれを持つ椅子に変わって行く時があった。現在はブラジルでも椅子の文化になっているのだから。日本では?
会場隣にあったグッズ売り場に行ってみると、たまたま手にした「名作椅子の由来図典」※2 というのがあった。ヨーロッパの椅子の最古のものとしてエジプト文明で、一木から削り出した3本脚のストールがあった。動物腰掛の原型生活腰掛よりもっとずっと椅子っぽい。
また日本の項目では最古の椅子が、ブラジル動物椅子の原型生活腰掛にかなり近いと思った。朽ちているらしく形は明確ではないが。日本でも竪穴住居のころ、床は土間とか藁敷きだったと思われるので、こんな腰掛を使ったのだろう。ここに動物椅子のシャーマン(呪術師)による空中飛翔を接続=思い描ければ、この腰掛から生活高床に展開するのもスムーズに接続されるか。高床でも飛翔するイメージをたやすく創造できるのではないだろうか、高床住居が特別な階層の者(権力者や巫女(呪術師))の住居だったのだから。
>>埴輪 腰かける巫女>>
ここまできてまた発見があった。「名作椅子の由来図典」古墳時代に「腰かける巫女」という埴輪がある、と指摘されていた。早速ネット検索。
>>国立000の埴輪写真>>>>
埴輪 腰かける巫女
塚廻り古墳群
これってブラジル先住民の腰掛と同じなのではないか?
彼らブラジル先住民の腰掛は低いのだが、それで空を飛ぼうとした。かたやこの埴輪の高い腰掛は、空を飛びたいー、飛んでいるー、と言っているように見える。
実はシャーマンも巫女も空中浮遊するには臨死体験のような意識の高揚があればいいのであって、空を飛べるコンドルやの動物椅子は必要ないのでした。動物腰掛でなく単なる腰掛に乗って浮遊するようになった時、椅子も要らなくなると想定したかもしれない。
そしてそして、ここからもっともっと発展して、日本では高床住居の縁側付きで=巫女の意識は空中を浮遊した時期に移行したのではないか?
あの姿勢から言ったら、縁台に座って空を飛んだ気分にならないか。
そう言えば古墳時代には家屋文鏡と言うのがあったなー。
>>家屋文鏡>>
ネットで検索すると、それぞれの家屋にブルーのラインで示されたものが注視されていた。縁なのか、縁台なのか。貴人の家とおぼしきものに共通に付いている。これが展開して縁側になったのか?
また近世以降の縁側についての木構造から階層生活の観点は下山先生のHPがある。これの解題がしたいと思っているが、中々手付かずになっている。
補足・「日本家屋構造」-6・・・・縁側 考 : 「謂れ」について考える
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mirutake