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ロビー邸を解読したい 1906 (39)
Frederick C. Robie House
設計:フランク・ロイド・ライト 1867-1959 (92)
Frank Lloyd Wright
written by mirutake
photo by odaka kouji 2017.04
現在はシカゴ大学構内と言うことですが、Google航空写真で見ますと、市街地郊外の住宅街と言う感じで、住宅が建て込んでいるところが残っていますね。
敷地も玄関アプローチに西側に6m芝生を取っていますが、後は歩道南側も、また東側も目いっぱい建物を建てていますね。コートハウスになっています。ここら辺がミースに受け継がれていったと言われている。
カッコいい!ベストアングルです。鉄骨補強のキャンチの深い軒。中央窓先端で3.5m、鉄骨根元のレンガ柱まで7mのキャンチです。
ハッキリ基壇に建つ古典建物を感じる。奥行6mの芝生、左側が玄関アプローチで、目立たない設計になっている。
3階もここから見ると大きい。面積を当ってみると2階の45%。見学はこの右手の塀の鉄扉の開口から、サービスコートに入る。
1階は左手からビリヤード室、子供室となっており、その前庭側に1300くらいの中が見えるレンガ塀となっている。平面図には樹木が植えてあって、視線を遮っていたと思うが。
東側大キャンチの軒。軒樋と落とし口が見える。コルビジェにしても竪樋が無くて落とし口になっているなー。出隅コーナー窓の方立は力強い。
草原ハウスの水平線強調により、レンガの目地は横線強調で、縦目地が見えないくらいになっている。縦目地は色モルタルのようだ。
2階居間。軒天井2500くらい、織り上げ天井2900くらいか。梁型状の付け装飾梁型が繰り返される。これらの縁取りは構造を表している装飾と言うことなのか。
内側柱型350、両開く建具幅940くらいか。カーテンを嫌ったライトはステンドグラスで視界を遮ったのか?
居間西側出隅のコーナー窓。
居間から食堂を見る。暖炉の両側にどっしりとしたレンガ柱。上部が抜けており、梁型装飾が連続しているが、ワンルームと言う感じが余りしない。左右の通路は結構抜けていて、現場では連続感があるのだろうか?バルコニーへの開口ごとに、床グリルがあって、暖房のラジエターが仕込んであるらしい。
北側窓。ここは片開きかな。腰のグリルはラジエターかな。
天井丸形照明。木製グリル内には照明器具。このくらいの拡大写真になると、漆喰と木部との一直線でなくギザギザになっているのが解るとか、汚れが所々に見えるとか、実物感が写っており、自分で撮ってくることの意味が感じられ、写真の迫力を感じることができる。
3階寝室、開口部ステンドグラスが天井に映っている。床板張りからの反射なんだろう。
1 初めの問い
草原ハウス ロビー邸=近代初期の建築空間としてヨーロッパの建築家たちに多くの影響を与えたと言われている。
その写真は見ていたが、私には近代の住宅建築に見えなかった。装飾過多、流動する空間も内外開放的空間も、そうは思えない自分の感覚、この「間」をいつか埋めたいと思っていた。
それはライトがヨーロッパ旅行した時に、1910年のヴァスムート版『フランク・ロイド・ライト作品集』によって、ロビー邸がヨーロッパの建築家たちに多くの影響与えた、と言われているわけだが、その詳細は自分の生の感覚だけではなかなか捕まえることができない感じがしていた。
そこでロビー邸評価は和風建築を知っている私たちには=柱の間に入れた建具の開放感や内外の流動する放流感から言ってピンとこない気がしているからではないかと考えてみた。だから、ロビー邸の流動性というが、居間・食堂は大型暖炉に「遮られている」と感じてしまう。テラスとの建具も、框は大きいしステンドグラスが嵌ってるしで、内外一体性と言うが、和風の放流感から言ったら程遠いと感じてしまうのではないかと。
(またライトは全く否定しているが、シカゴ万博の後作風が全く変わっており、日本館鳳凰殿から影響を受けたと言われているものの、なかなか取り出しづらいものがある。あのような日本の神社建築からどのように影響を受けたのか、ここでもその実態に迫れる方法という物がないのだろうか、と思いでいたのでした。)
では一体ヨーロッパの建築家たちにどのように受け取られたかを、私たち和風を知るものが理解できるには、どうしたらいいのだろうか。そこで思いついたのは、当時の一般高級な住宅がどう建てられていたのか?と言うこと知ることかなと思い始めた。それはヨーロッパの人々の住宅建築のあたりまえの前提に立つことから、これとロビー邸を比較して、その違いを描き出すことで解ってくるかもしれないと考えた。
そこで当時のヨーロッパの高級な住宅というのをどう見つけるかだった。
2 当時ヨーロッパの一般高級住宅
偶然ながら当時高級住宅特集というものを見つけることができた。それは1867年に出版された洋式住宅のカタログなのでした。そしてこの図面集には驚くことなかれスケールが入っているのでした。感激。みなさま有名建築家たちの出版された図面にはスケールの入った図面は皆無に等しいという事をご存知ですか。
西洋の住宅「VILLAS」201407」より ※1
オーストリア風住宅
豊かな家族のための広大な住宅。その壮大な配分は数多くの招待客を向かい入れるにふさわしい。
(この本では最大のヴィラを選んだ。)
ルイ13世様式
最高の建築家の一人によって構成され、さらに実際に施工されて、住宅が醸し出す良き雰囲気を直接確かめることができる。
(一般的と言える大きさのもの。両ヴィラは地下室を備えている。ライトは地下室が嫌いだった。)
このような住宅カタログが発売されて、基準となって作られていたのでした。大型住宅の平面図・立面図と一般規模と思われる住宅図・立面図・部分断面図とを、ロビー邸の図面とセイムスケールで張り付けて比較してみました。(ロビー邸はGoogle航空写真からスケールを読み取って張り付けました。よって寸法は不正確と思いますが、まったく間違いではない、と言うくらいのものと考えてください。)
真ん中がロビー邸1906 その一番下がGoogle航空写真で、そこにあるスケールを使って平面図、断面図のスケールを合わせた。Google
地図のスケールがどのくらい正確なものかが分からないので、寸法は正確ではないが大体こんなものと言うくらいに思ってほしい。
まずヨーロッパのヴィラとロビー邸とのプロポーションの違いに注目してください。ヴィラは高さが高い。ロビー邸はひくく、長さがが長大だ。目指していることが全く違うことが感じられる。
ここでロビー邸との比較でヴィラの特に目を引く違いを列挙すると、
立面の高さが高い、
平面が矩形に整形されていること、
部屋がが小割になっていること
レンガ壁が連続していること
これらがその違いとして飛び込んできます。ロビー邸の平面自体は知られていましたが、当時のヴィラと並べてみることで、あまりに明快に違いが際立って解りますね。
ロビー邸のレンガ構造
3 南側開口
近代建築のあの白い壁構成のコンクリート住宅だと思っていたシュレーダー邸が、レンガ造だということを知った時は本当に驚いたが、ロビー邸がレンガ造だと知ってまた驚いた。木造なのかなーとは思っていたが、いざレンガ造だと言われると、居間や食堂に見る350角くらいの柱が驚きなのだった。目白の明日館に見る木造ツーバイフォーで平屋建てにも拘らず、石柱のような450角の列柱廊を知っていたからだった。
そんなロビー邸の350角の柱が1300ピッチ位(これら寸法はおおよそのもので正確ではありません。)に連続して南側の連続した開放開口を作っている。(ロビー邸の平面図の開閉記号は「片」開きとなっているが、写真で見るとハンドル金具が中央に二つ有って「両」開きのようだ。両開き中央の左右の框の幅が違っている。左が大きい。片側の幅が470内外とするとヨーロッパの人には随分と狭いものだが。下框にはロック用のシリンダー錠とおぼしき金物が見える。また床には吹き出し口があって、グリル金物が出っ張っているようだが、出入りには引っかからないかな。)
ライトは「建築について」の中でこの「開き窓」についてこう書いている。
>>イギリスのこちら側にこの種のものはなかったので、特別の金物を作らせなけ ればならなっかたが、私はこの外に揺れ動く開き 窓のために、独り断固たる戦いをいどんだ。<<
この言葉は脈絡なく書かれていて、なかなか意味が取れないのだが、推測だが書くと。
この種の床まで開く窓は無かったので、ロックのためのハンドルと落とし金物を特別に作らせたのだと。そしてこの断固たる戦いはこれを使ってくれるはずの施主たちとの戦いだったはずだ。「こんなに大きくて解放している連続窓なんて、こんなものでは生活できない」と言われたのだと思う。和風に慣れている私たちには思いもしない感覚なのだが。
この開口部も和風の柱間に障子なる建具の嵌った、全開口を知っている私たちには、開放感あふれるとは言い難い。おまけにステンドグラスが嵌っており、外がよく見えないようになっている。これで内外開放なのかと思ってしまう。
けれどレンガ造の大きく立ちはだかる壁を思ったら、欧米の人々には350内外のレンガ柱と940位の開口の繰り返しは、軽快そのものなのだろうとも思える。けれどヨーロッパの人々には軽快すぎて受け入れられなかったのだ。建築家達には驚きをもって受け入れられたが。時代が進むとヨーロッパでも大開口は当たり前になってしまったが。
上がロビー邸、下がヨーロッパのヴィラ(セイムスケール) 下のヴィラではレンガの厚い壁に穴を穿つ感じだが、ロビー邸は連続窓のように見えないか。
4 居間の大きさなど
ロビー邸は居間や食堂などの部屋の大きさが例題の大きい方のヴィラと比べても2倍くらいはある。(居間78m2)しかも開口が多い。(日本の無筋組積造の規定でも60m2まで)これができるには今までのレンガ構造から飛びぬけた理解なくしてはできないと思えてきた。近代以前のレンガ造とは、平面は矩形の壁で連続完結しており、高さ・平面の大きさと外壁面の壁厚が制限を受け、ポツ窓に限られていた。そういう矩形のマトマリとして構造を=平面形を理解していた、それが近代以前の建築家たちと言うことだと思う。ロビー邸はこれを打ち破っている。近代のレンガ造と言うことか。ではその方法とは?
ロビー邸 断面図 2階平面図
ロビー邸では構造の主力ラインが外壁面には無いようなのだ。
だから外壁面の連続開口のようなことが可能となっていると思う。その秘密は南北列とも、外壁面から1800ほど中に入ったところに主構造ラインを設定している。(2階平面図に緑のラインで示す)このラインにはまとまった大きさのレンガ柱やレンガ壁柱が設定されている。構造のコア部分なのだろう。そしてここにかの有名な草原住宅の特徴である7600にも及ぶ鉄骨補強の片持ちの長大な軒を出しているのだった。この補強鉄骨は軒の長大片持ち梁だけでなく、屋根や床過重を負担したりしている。そしてこのラインから直角方向に垂木や根太を出して300角のレンガ柱の頭を繋いでいることになる。レンガ造は柱や壁までで、床や屋根はツーバイフォーの木造なのでした。こう言うハイブリット構造と言うことなのですね。
5 レンガ造システムの限界の獲得
「巨匠たちのディテール1」1999 ※2にはこう書かれている。
ロビー邸では拒絶しなかった大量の鉄と多くの技術的かつ建築的革新がみられたにもかかわらず、ロビー邸は煉瓦の耐力壁と木造軸組の床と標準的なバルーンフレーム構法といった割合平凡な方法で建てられた。つまりロビー邸によってこれらのシステムはその限界まで発展はしたが、それを超えることはなかった。
私たちはここでは「つまりロビー邸によってこれらのシステムはその限界まで発展はしたが、それを超えることはなかった。」この言葉を得るだけ十分だ。大量の鉄と木造軸組みとレンガ造はその限界まで発展させられたのだった。
ハイブリット構造の自由さの展開から、諸室を大きくとり、レンガ「壁」構造からの自由度を高めてゆく方法として、350角の煉瓦「柱」を1300ピッチくらいで立てて、連続開口を取って開放感を高めている。けれどこの開口列には剛性を保つ構造壁は大きくない。剛性を保証するためにこの構造列を内側列にまとめて作り、そこにコア壁のような厚いレンガ壁を用意している。この構造列のために暖炉上を開けられているのか。またこの列で外壁に架かる屋根・3ー2階床荷重を減らしているということ。2階屋根には381ミリの溝形鋼、2階床には381ミリのI型鋼がそれぞれ2列で入っている。単純に思い浮かぶのはこの鉄骨の直角方向にも鉄骨が入っていそうなものだが、短手の断面図を書いてみると、折上げ天井でその余裕はないことが分かる。木造で繋いでいることになるなー。
妻側断面図
(自分で書いてしまいました。あくまで目安として寸法を入れました。無いよりあった方が良いに決まっています。寸法に意味を見出すのが設計の基本ですからね。)
2階を見ますと、軒天井は低いですが、そこから内側では250位上がってますし、折り上げ天井2900があって、トータル低い天井とは言えないが(和風の感覚から言ったら)、軒天井の低いのが低さを感じさせているようです。それでも例題のヴィラが3400ですから、ヨーロッパから見たら低いのでした。
と言う風に構造的に突き出している考え方でやられており、私にはトータルな構造理解は手に余るが、相応の飛びぬけた構造理解が必要なのだとは解る。ライトは構造センスがやっぱりすごいんだ。
ここで思うのは、今までの建築紹介というのが余りに意匠に偏っていて、建築の魅力や特徴が「簡単な構造観点」から見るなら、見逃せないポイントを掴めると思うようになった。構造によって実現可能となるのだから。今回特に、流動空間(居間食堂一体)や内外一体(300角レンガ柱による開口の拡大)を可能にするには、レンガ造の構造を先進のものとすることなしには不可能とおもわれた。当時レンガの厚い壁に囲まれて成り立っていた住宅の壁を、どう開放的なものにしたか?室と室のレンガ壁をどう流動空間としたか?これらが当時の矩形のレンガ壁に囲まれたものから、どう変革したか!という観点が、ロビー邸平面からの新たな発見の喜びを感じられると思う。
比較のための二つのヴィラを見てもよく解るように、ヨーロッパのヴィラは威勢を張って立面を高く構えているようにみえる。ヨーロッパではどんな小さなヴィラでも、権威を表さずにはおれないのだ、ということだろう。吹き抜けもあるんだろう。だから平面の大きさが規制される。けれどこれでなくては施主には受けないものだったのだ。ライトは建築家達には受けたが、施主たちには受けなかった。
ロビー邸は低い。草原ハウスだからではなく、低い天井の住宅が好きなのだ。そして室平面を大きく作りたかったのだ。だからレンガ造としても階高を低く押さえる事が構造的に有利になり、その要請があって低く構えているのだと思う。これはヨーロッパの建築家たちには受けたが、施主たちには受けなかった。レンガ造でも高さを抑えたから、広く開放的な平面が可能だったのだ。おまけに3階は軽くするために木造となっている。
そして何よりも和風建築の影響で、低い天井の素晴らしさ、建物の内部空間がしっとりと使う人に寄り添ってくるような空間感覚を愛していたんだと思うのでした。明日館の教室を使ってみてください。体験してみてください。ライトの低い空間でないと得られないものが分かるはずです。現在の日本の住宅建築の失ったものが分かるでしょう。和風は庭との関係で低い天井が意味があったのかもしれない。それが失われてしまった都市化の中で、高い天井は要請されているのでしょうか。ロビー邸は草原ハウスとは言うものの、市街地住宅街の敷地で、西側に6mほどアプローチ庭を残して建てられた、コートハウス形式でした。草原に建っていたわけではないのでした。勿論住宅としてのプライバシーは考慮されていますが。
Google
6 遠藤新への発展
(遠藤新の明日館講堂等に見る「三枚おろし」と言うのがある。前記したロビー邸の主構造ライン=屋根や床の過重を負担するラインを外壁から中に入った位置に2本設けて、ここにほとんどの屋根や床荷重を負担させる。だから外壁面にはほとんど負担がかからず、軽快な柱と大きな窓が可能になる。これを遠藤新は使っていると思われる。当時講堂などの大型の木造は単純な矩形で普通に外壁面に全荷重がかかる作り方をすると、外壁外周部に大きな負担がかかって問題を起こしていた。そこで柱の補強やをするように、明治の学校建築で問題になっていた。それに答えるのがこの三枚おろしなんだと言っています。それは講堂の空間を3分割(三枚おろし)した構造ラインを2列設けるということ。ロビー邸のような外壁から後退した位置に2本の構造ラインを設置して、ここに2本の大梁を架構します。そしてここに上からの過重をほとんど負担させると、外壁ラインの負担が軽くなって外壁面の柱列は楽な構造となり、広い開口部が可能だと言っている。(もっと複雑な問題に答えているのですが。)これもロビー邸からきていると思えるのでした。またヨーロッパの教会建築もまた3枚おろしになっているのですね。)
明日館講堂内部
「三枚おろし」合理性の解説図 ※3
7 シカゴ万博 日本館鳳凰殿
ライト建築とシカゴ万博1893の日本館鳳凰殿との関連を指摘する記述は多い。当時ライトもサリバンのところで交通館設計をしており、現場にも通っていたのだった。ここで天井の低い廊下から鳳凰殿に入った時の解放感がユニテイテンプルとか、帝国ホテルに生かされたと言われている。
ロビー邸は雁行プランをやっていて矩形に完結しておらず、必要な諸室を取るために自由にプランを雁行させている。日本の住宅建築からきていると言われている。鳳凰殿もよく見ると平面形に凹凸があって雁行平面になっていることが分かる。これにもヨーロッパの建築家たちはビックリしたのではないか。前記した一般的なレンガ造ヴィラとの比較で、いかにロビー邸の雁行プランが際立って異彩を放っているかが分かる。ライト自身もロビー邸(1906)の前にはウィンズロー邸(1894レンガ造)とかハートリー邸とか、矩形平面の住宅を多く設計している。シカゴ万博以降変わったと言われている。
ここではロビー邸にどう表れたか見てみる。入母屋屋根の重なりぐわい、図面の裏側に見える対称建物をずらして配置しているとか。改めてライトの受け取ったが見えてくると思えてくるのでした。また柱間に見るリズミカルな繰り返しも、よく見てみるとロビー邸に生かされているように思えてしまうのでした。ロビー邸の350角くらいの柱間に入った窓が永遠と繰り返されている。これは明らかに西洋のポツ窓ではないと思えてくるのでした。
日本館鳳凰殿
平等院鳳凰堂
日本館鳳凰殿の三つの堂の組み合わせと、平等院鳳凰堂の一つの堂と両翼の通路(ピロテイ)屋根の組み合わせの軽快さの違いは明らかだが、混同されている。(202204追加)
8 帝国ホテルの空間認識から
私たちは近代の空間と言うと、篠原一男とか伊東豊雄とかの白い壁に囲まれた空間と言う風に思っており、分かりやすい白い空間=白い面で構成された空間観賞に慣れていると思う。白でなくても品合板で覆われた空間とか、均質な材料で囲まれていれば空間の形は分かり易い。けれどこの頃のライトのように装飾があるとそれが解りづらくなってしまう。
明治村に行って帝国ホテルロビーの空間を味わったが、なんかピシッとこないと言うことになってしまった。どう言葉にしたらいいのか、3年くらい悩んでしまった。そこで出した結論は、現場ではなんとか意識で操作して混みいった空間把握は認識としてできた。が、現場で視覚体験としての空間の実感がピシッとこない、と言う事のようだ。装飾があまりに多く強烈なものだから、壁面の面把握ができないゆえに、空間の面構成が上手く掴めないのでした。そういうのがライトの空間だというのならそうでしょうが、落水荘以後、ライトは装飾をやめる。ここからやっと完璧な近代建築になったと言うことなんだと思う。装飾を付けることがまだ時代に必要なのだということなのか。やっぱりみんなが分かり易い方がいいが、今となっては解りづらい装飾空間も捨てがたいということなのだが。
明治村帝国ホテルロビー内部
ロビー邸もこれと同じことだと思う。居間・食堂の中央に暖炉を置いて、その左右を動線で抜いており、おまけに暖炉上も大きく開口としている。その暖炉上の開口を通して天井の装飾梁状のものが繰り返していることが見えるようになっている。だから空間の流動性が良く分かるか?というと、そうはいってないように思う。装飾が空間の面構成を理解する=面の形という均質面構成を捕まえづらくしているから。
シュレーダー邸内部 ※4
レッド&ブルーチェアー 着色する前の原型
(またシュレーダー邸の内部空間も、ここでは装飾ではなく、色彩で塗り分けられており、その意味するところがよく解らない。色彩のパッチワークだから、空間を作る面構成がうまく掴めない。だから良く分からない、なんか掴めないなーという印象。空間は単純な面構成だと思うが、現場に行ってないからなー。
またこれに対しレッド&ブルーチェアーはレッドとブルーは背もたれ板と座板に塗り分けられ、その他の腕木などは黒・小口黄色となっている。これは明快な部材構成を表しており、良く分かるものだ。かえって無塗装の原型の方が全ての部材が単一素木だから、線が多くて明快に構成を表せなくなっていると思う。色彩をうまく使えば明快に構成を示せることを表しているということか。これらのことは思索的だ。)
20180228 mirutake
※1 西洋の住宅「VILLAS」201407 『ヴィラ都市住宅と郊外住宅―16、17、18 、19世紀の様式による 現代パリの住居のモチーフ、および、外国の傑出した住宅』(リプレリー・ダルシテクチュール・エ・ダール発行、1867年)
※2 「巨匠たちのディテールVol.1」 The Details of Modern Architecture 1879-1948
エドワード・R・フォード著199903 監訳 八木幸二 丸善株式会社
※3 建築家遠藤新作品集 1991著作権者 遠藤都 中央公論美術出版 p226
※4
シュレーダー邸内部写真
※10
20世紀の建築空間遺産 筆者:地域空間研究所 小林良雄 第2回ロビー邸1909年(ロビー邸の解説としては平面計画を読み込んで秀逸)