追記:タウトの付けた名前はベランダではなく「縁側」だった
タウトについての資料を探していたら、雑誌SD197812「特集=ブルーノ・タウト再考」と言うのを、ヤフオクで見付け、手に入れた。新たな情報から見えてきたことを書きました。平面図の室名から。
           
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           ※1 拡大部分平面図
※1 拡大部分平面図
ここに掲載されていた日向別邸地下平面図※1の室名は、今まで見ていたもの※0 とは違っている。これが一番古いというか、当時国際建築に発表されたものなのかもしれない。和室にも洋間にも上段の間と言うのはない。洋風客間、日本間と書かれている。アルコーブと言うのはない。けれどそこに作り付けのソファーが仕込まれている。写真も原型に近い状態が写っている。
またベランダではなく、縁側となっている。タウトは「縁側」と名付けていたのだ!
((縁側床には45度傾けた正方形の平瓦の割り付けが書かれている。そこに重ねて破線が見えるが、これが手前に跳ね上げ式のガラリ蔀戸を天井に上げた状態がかかれているのだった。南側(正確には南東側)も矩形の破線が書かれており建具一つ分のガラリ蔀戸があるのが解る。またRC柱廻りは蔀戸は上げられないので、平面図からだと縦格子と見える。)この縁側廻りがずーともやもやとして解らないーが続いている。戸袋の在り方は良く分かる。))
縁側かー!この「縁側」と言うのは聴竹居の「縁側」からきているのだ。聴竹居1928と日向別邸地下室1936とを関連づけて解釈したのだからこそ良くわかる。今まで見ていた平面図ではベランダと名づけられており、ここが和室に付属するベランダとは何なのか?イメージがわかなくて、どう捕えたらよいのか解らないなーと思っていた。これでわかる。時代考証として和室の前は縁側でないと、ベランダでは混乱してしまっう。ここは「縁側」でなければならなかった。それは聴竹居の「縁側」の展開としてもあるのだから。
タウトは桂離宮を見た(1933年5月4日)後に、同じく京都にある聴竹居を訪れ(5月9日)、藤井厚二夫妻から茶をもてなされ、聴竹居の写真や資料をもらっていることが日記に書かれている。ここでタウトは日本の住宅の置かれている状況を受け止めたのだと思う。当時の住宅建築の課題とは、和風の畳の生活と文明開化の洋風の生活様式を一つの家でどう調和させるか?という課題を抱えていた。それは聴竹居では和室の畳の床を、板張りの洋間の椅子の高さに近い300段差とし、畳に座る視線と椅子に座る視線とを調和させた。これに対しタウトは、日向別邸地下室では別荘と言うことであり、リラックスする椅子の高さとして200段差と解答したのだった。(前回の報告内容で,数値はおおよそです。実は和室との段差は150が正解らしいです!)
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※5 けんちく激写資料室
けんちく激写資料室
         聴竹居 縁側 南面(正確には南東)
そして聴竹居の「縁側」とは、室内で、腰壁・下がり壁付きの横長ガラス窓で、これでは縁側ではなくって温室なのだと思ってきた。京都の寒さ対策なのではないかと。これはこれで縁側の洋風化の一環なのだと。((明治末から居留地にできた洋館は、当初はコロニアルスタイル(バンガロー式)と言われた=1階も2階も完全外部の床板張りの洋風ベランダ付き住居であった。これが梅雨など日本の気候に合わないことで、室内化することが一般的になっていた。しかしこれでは夏環境としては暑すぎるのではないか?こんな思いを持っていたので・・・・・・。)
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※4  ※3
※3
         日向別邸地下 日本間から「縁側」を見る
聴竹居から見ると日向別邸地下室にある和室の隣が「縁側」であるというのは良く分かる。
ここも天井があり、そこからの下がり壁ありの、こちらは低い腰壁付き程度だが、室のような雰囲気でよく似ている。ところがここは完全に外部だった。(現在の現場ではガラスが入っているが当初はなかった。)だから床が外部仕様の平瓦と言うことだ。そもそもここは別荘として設定されている。だからタウトは夏涼しい縁側であろうと発想し、床はひんやり冷たい平瓦の仕上げが快適と考えたのだ。開口も最大限大きくして通風を取った。デザインは和室に付属する最も格調高いものとするべく、蔀戸形式で跳ね上げれば全面開放できるガラリ戸を仕込んだのだった。ここは西向き(正確には南西)なので可動ガラリで完全遮光ができるようにしたのだ。夏向きなのだから床は冷たいタイル形式が、外部であり風雨にさらされるということなのだから、板張りより良いと考えたのだ。そして蔀戸とは全解放のことだった。そう蔀戸をすべて持ち上げると一切建具が残らず、全開放となる。これこそ縁側だ。
  ところが現在の現場では全く違っていた。網入ガラスの建具が入っており、木製の縦格子が入っており、原形とは全く違ってイメージが結ばない現状だった。おまけに暗い午後の冬の現場見学だったので、寒くて寒くて。冷静に解釈してみれば、正に夏用。完全開放されており、外部であり雨水も入るので板張りではなく、タイル張りが合理的だ。するとこの在り方は、結果としては現代のマンションでも普通にある南側和室の前ベランダ又はバルコニーと呼ぶ方が現代人にはすっきりくる。タウトは和風の縁側がタイル張りのベランダになる走りを作ったのだと思えるのでした。先進の縁側は先進のベランダだったと。この手つづきでやっとタウトの縁側として理解できたのでした。
   そしてこの和室に付属するベランダと言うのは現代では当たり前のこととなっているので、編集者なのか心優しい建築家なのか、こんなところ縁側じゃなくベランダに決まっているじゃないか、タウトは縁側などと言っているが!とばかりにここ日向別邸地下室の縁側は洋風呼び名に修正されてしまってベランダとなっていたのでしょう。
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SDでは村井修が撮影している。縁側の写真※5の解説に、ここはガラリ戸だけで縦格子はなかったと書かれている。今は網入りガラス戸さえつけられている。冬も使うために寒くて仕方ないから付けたのだ。原型は跳ね上げ式ガラリ蔀戸だけでスッキリ外部空間だった。(タウトの原型が簡単に明示されていないんだなー。)
  また和室の写真には内部板縁(下;和室から外をみる※6)が写っている。これが外への重畳と言う、和風の作法が写真にしっかり捕らえられているのだった。障子の外に=畳の外に板縁があり、外部へと連続させている。タウトは和風の縁側の作法もしっかり知っており、守った造りになっているのだった。写真の解説には「作られた頃には海が見えていた」とある。畳>板縁>庭 という重畳が守られている。海が見えていたらもっと美しく雄大な写真が見れたのだろう。(手摺りがないのはこの時代ならですね。)
                                                      2o22o11o mirutake
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※6
     追伸
いままで聴竹居の畳と板床とのひとが一緒のテーブルを共にする家具の配置の平面図が有りませんでした。仮定として畳の高さと板床の椅子の高さを合わせるのは、視線の高さを合わせるだけでなく、同じテーブルを共にしているはずだということは、あまりに当然の考え方と思っていましたので、どうして聴竹居にその設定の平面図がないのだろうと思っていました。
それは聴竹居ではないですが、藤井厚二の設計になる太田喜二郎邸で見つかりました。画家の家で居間にはベンチに卓を囲むところと、3畳の畳と食卓を囲む椅子と言う配置になっていますね。畳床では正座して食卓に着いたと思われます。畳の人は足を垂らしても使えますが、それだと椅子と同じですので椅子でよいことになりますね。この設定は畳に正座の生活習慣の家人用と言うことなのですかね。
※3の写真をよく見ていると、天井が真っ黒だが、その板張りが隣の板同士が段違いとなる大和張りとなっているのが確認できた。タウトは黒を基調として「厳粛な感じ」と言っている。ネットで「大和張り天井」と検索するといくつもの隈研吾の作品が上がってくる。彼は日向別邸地下から多くの表出のヒントをもらっているのだ。また
         
  
         1階平面図 太田喜二郎邸1924京都 設計/藤井厚二 TOTO通信2020年新春号
  聴竹居ではその三畳の裏に畳の居室が連続していますので、畳の生活様式の連続性と言うのが良く分かりますね。また平面図ではその三畳と板敷きの間の敷居が入って建具が入っていますね。畳に食卓を重ねてというのはやらなかったのか。方や居間の畳部見上げの写真※7では鴨居は見えませんし、照明の位置が敷居に近く配置されていますね。
  平面図に卓と椅子を書き込んでみました。なんと読書室の1000の出っ張りのためにシックリ納まってしまいました。
         
  ※7けんちく激写資料室
※7けんちく激写資料室
         聴竹居  1階平面図  「聴竹居」実測図集」竹中工務店設計部編集 彰国社 (卓を追加してしまった。)
              参考資料
              ※0 建築家ブルーノ・タウト 人とその時代 田中 辰明 (著)柚本 玲 (著) オーム社 (2010/7/31)
              ※1 雑誌SD197812「特集=ブルーノ・タウト再考」
              ※2 聴竹居
              ※3 2004年10月23日 熱海旧日向別邸 Atelier Chou アトリエ珠 Diar
                 (雑誌SDを見た後でHPを作っている時点で発見。余りに良いアングルなので載せました。mirutake)
              ※4 日本間(から切り取り) 工事中にて畳が敷かれていない  熱海ブルーノ・タウト連盟 
              ※5 雑誌SD197812「特集=ブルーノ・タウト再考」
              ※6 雑誌SD197812「特集=ブルーノ・タウト再考」
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68. 聴竹居から旧日向別邸へ-------------------------
 ※聴竹居 食堂の円弧の開口から三畳の間と居間の椅子座の家具を見る
※聴竹居 食堂の円弧の開口から三畳の間と居間の椅子座の家具を見る 旧日向別邸 渡辺仁 上屋の居間
 旧日向別邸 渡辺仁 上屋の居間 旧日向別邸 渡辺仁設計上屋外観
 旧日向別邸 渡辺仁設計上屋外観 旧日向別邸 上屋と地下 平面図
 旧日向別邸 上屋と地下 平面図


 
 
 
  地下洋間下段と上段  ※1撮影;三沢 博昭 (1944-2009)
 地下洋間下段と上段  ※1撮影;三沢 博昭 (1944-2009) 日向別邸地下 洋間下段と上段 断面図
 日向別邸地下 洋間下段と上段 断面図 
  上屋からの海の写真を切り取り想定視界を作成 水平線に初島が見える
上屋からの海の写真を切り取り想定視界を作成 水平線に初島が見える 
 
 ※10 旧日向別邸保存会ホームページ より
 ※10 旧日向別邸保存会ホームページ より 和室縁側様板敷き付き(2012頃の配布パンフより)
 和室縁側様板敷き付き(2012頃の配布パンフより) 
  旧日向別邸保存会ホームページ
 旧日向別邸保存会ホームページ 桂離宮 表門と竹垣
 桂離宮 表門と竹垣 タウトが撮ったニッポン 酒井 道夫、 沢 良子 (2007/2) 武蔵野美術大学出版局 ¥ 1,890 単行本
 タウトが撮ったニッポン 酒井 道夫、 沢 良子 (2007/2) 武蔵野美術大学出版局 ¥ 1,890 単行本 旧日向別邸保存会ホームページ
 旧日向別邸保存会ホームページ 旧日向別邸 上屋居間 庭 築地塀
 旧日向別邸 上屋居間 庭 築地塀
 聴竹居 居間から食堂入口円弧壁を見る 天井の回り縁風幅広面ゾロ板 482 聴竹居 1928 by 藤井厚二 けんちく激写資料室より
聴竹居 居間から食堂入口円弧壁を見る 天井の回り縁風幅広面ゾロ板 482 聴竹居 1928 by 藤井厚二 けんちく激写資料室より 1978今宿の家 2階の段
 1978今宿の家 2階の段
 1978南湖の家1階の段
 1978南湖の家1階の段 1981祖師谷の家1階の段
 1981祖師谷の家1階の段








