阿佐ヶ谷テラスハウス 1958(53)
               設計 前川國男 1905-1986(81)
                      津端修一 1925-
                  photo by mirutake  2010.04


地下鉄丸ノ内線「南阿佐ヶ谷」から歩いて10分くらい。それは「阿佐ヶ谷住宅」という公団住宅初期に建てられた集合住宅で、2階建てテラスハウス232戸と3〜4階建中層118戸あり、その中のテラスハウス切妻屋根174戸を前川國男事務所がやっている。
(解りづらくて申し訳ないですが、案内図とgoogle航空地図を重ねて、団地の範囲にあるオレンジ色の屋根が前川事務所の切り妻屋根です。実は白いのも黒いのもあるのですが。また右下に見えるのが善福寺川。)











2階建で低く抑えられているテラスハウス型住宅が、外部空間としてリッチであると言うことは、頭では解っていても、なかなか現実にそんな計画を得心することができないのでしたが、「阿佐ヶ谷住宅」の体験は実感させてくれました。初見では切妻屋根にしているところが懐かしい感覚を刺激しますね。

また中層棟(4階建)にはその規模に合わせて広い公共の庭が取られています。この規模になってしまうと空間の大きさからいって、広すぎるという感覚がきて=広がりに捕らわれてしまって、空間に親しさや愛らしさが喪われてしまうと言うことでしょう。
     けんちく激写資料室 「阿佐ヶ谷住宅」参照
今回ここにきて、ここは「公団阿佐ヶ谷団地」であるにも拘わらず、「阿佐ヶ谷住宅」と呼ばれていることが、理解できた気がしました。塀のない2階建てというのは、その規模自体が牧歌的であり、団地でありながら、「住宅」と言ってしまう心意気と理解したのでした。そのゆったりさが大変な豊かさなのだと言うことを実感させ、都心では得難い体験ですね。

この敷地環境の建築空間構成として、50年代の公団住宅初期の牧歌的表現として、受けとめて良いんじゃないかと思えました。ここには2階建テラスハウスが、切妻屋根で並んでいるのですが、2階建てとは言うものの、低く抑えられたものなのでした。この高さを抑えると言うことに設計側としては意味を見いだし得ても、住む側から見れば、天井の低いのは我慢できないという、現在の時代の流れがあるので、もう今からはなかなかできないものなのです。
一部2階建てのフラットルーフもあるのですが、総二階建であり、デザインとしてメーカーハウスのフラットに通じていて、ローコスト住居感覚であり、あ!やっぱりあるねと思いながら、通り過ぎるのでした。




白い群生はハナニラ、オドリコソウ、カタバミ、赤いのはチューリップ


こんなに野草が両側から迫った小道をゆけるなんて!



ここまで来て学生時代のことを少し思い出すことがありました。
この妻側に空けられている「空地」なのですが、当時はこのような棟計画になってしまうと、無駄に余ったような空地が出来てしまったと、しっかり計画できなかったと、気になっていました。しかしこれを現実に体験してみると、そうか!こういう感じになるのかと、こんなにゆったりした得難い空間を作っていることを、いまさらながらに確認できたと感じたのでした。

この愛らしい開放感を生み出す妻面空地の幅は、google地図で計ってみると、なんと7mしかないのでした。これならやろうと思えば何処でもできるのではないか?と思えましたが、もう少しこの心地良さがどこから来ているのか探ってみました。

その建物の高さもそうなのですが、隣棟間隔も割にゆったり取られていることも在るのですが、妻側に取られているがゆえに、空地が小さいのに、住戸からの視線がなくゆったり感じさせるのではないか?と思われたのでした。そこにベンチや小型ブランコがおかれています。すでにブランコ板なしのフレームだけが残っていたりしています。全く塀が無く、棟と棟が連続した空間としていること。公共に解放されているという感じを抱かせます。そこには内部道路のゆったりした曲線模様がうまく絡んでくる。小型のシャトルバスがゆっくり走っているくらいで、車の通行があまりないのでした。ここに続く善福寺川へのお花見へ向かう人たちが、ゆったり歩いて行くばかりでした。




これが一番の のどかな場所と思えた。樹木の日陰、野草に覆われて土が見えない、程良い大きさの憩える場。





この写真を見ていると、野草に迎えられた、理想の玄関と言ってしまいたくなる。



ハナニラ(青)、ぺんぺん草(ナズナ)、ハナニラ(白)、カラスノエンドウ



それはこの世のこととは思われない、とっても大げさな言い方でも良いじゃないか、と思えてきてしまうのでした。

では何がこの世とは思われないのかというと、妻側に取られた空き地がゆったり感を作り出しているのですが、特に重要なのは、ほったらかしの草花なのではないか?と思い至ったのでした。そこには野草(wild grass)が群生しており、その緑の絨毯と、その中に白いハナニラがアクセントとして群生しているのでした。(野生花 wild flower)
ベンチに座って眺めていると、この阿佐ヶ谷住宅の小型団地の空地の持つ,小さいながらもゆったり感じさせる空間が、とても得がたい物、(これから建て替えされるのは仕方ないですが)もう2度と体験できないものに思われます。それもこの建て替え前の管理の行き届かない故に体験できる、偶然の得難い野草建築空間体験なのではないかと思えるのでした。

そしてこの内容をもっと詰めていくなら、ゆったりと野草の植生を可能にする意思、意思しない意思にあるのではないか?と思われてくるのでした。
ランドスケープのデザイナー達も、自然な植栽というのは考えているでしょうし、やっていると言うでしょう。けれど野草の群生が持つ自然な感じ、ゆったりリラックスさせる感じというのは、意思された植栽ではなく、無意識な放置された空地の安心感なのではないか?と思いついたのでした。
通常なら庭のデザインと言うことからいっても、庭の管理と言うことからいっても、野草(雑草)を野放しにすると言うことはあり得ないことです。今回でもそうでしたが道路側一部野草(雑草)が刈り込まれているところに出会いました。そこに管理の意志を感じ、禿げ原っぱになった むき出しされた土を見ることになります。もうリラックスさせない。雑草と見ると抜きまくる叔母さんは何処にでもいます。そこにみんなの内面に澱のように沈み込んだ管理の意思が潜んでいるのを感じるのです。
人がほとんど住まなくなっているから、壁面に落書きされたところが一カ所在りましたし、荒れていかないようにしないといけないのでしょうから、雑草の管理も必要なのですよね。ここではちょっと現実を離れて、そこを新しい植栽概念として発想してみるなら、土が見えるところまで刈り込まない=野草の緑化力を生かした新しい植栽観になると感じたのですが。雑草(野草)の庭園の開放を。

                               20100425  mirutake

この敷地からすぐに善福寺川に連続しています。川に沿って、善福寺川緑地となっています。そこにも野草が生えているのですが、人の歩く密度が多いせいか、管理がある程度あるせいか、しっかり野草があるとは言えない状態でした。阿佐ヶ谷住宅では、人が歩くところは細いですが、コンクリート舗装か、コンクリート平板の飛び石になっているために、しっかり野草を守ることになっているように思われるのでした。

そういえば10年位前に駐車場に使っていたところが放置されていて、もの凄い夏草に覆われてしまっているのを見たことがありました。それはそれはすごいもので、背丈くらいに高くなっていたように思いました。野草は放っておくとあそこまで行ってしまうと言うことなのかと。思い出してみるに、主なものはハルジオンだったと思う。写真を撮っておいたような気もするけど。

もう一つ思い出しました。このHPでもとりあげています東京ガーデニングショー(1999/7)がありました。そこでの作品で「塚」と言う題名で山里の石宮を周辺を再現したものや、「湿地」という湿地を再現したものなどがありました。また「庭の神様御滞在」という題で8m×16m位の場所に外周部に高さ3m位のユキヤナギをその前列にコデマリを配して真ん中に自然石貼りの囲まれた空間を作っていたのですが、ここでも自然を切り取ったような植生を狙っている体験をしたのですが。野草の庭の再現というのはなかったですね。


関連 hp
    阿佐ヶ谷住宅(Wikipedia)
    阿佐ヶ谷住宅日記

    津端修一(Wikipedia)
    前川國男(Wikipedia)