当時の建築雑誌を見ました。(新建築1961/10)
東側の外観写真は圧巻ですね。現在の現場では樹木が茂って建物が隠されていまして全体を一望にすることができないのですが、当時は全体が見渡せたのですね。ブルータリズムというのでしょうか、単純な要素の繰り返しで、力強い物です。コンクリート打放しは前川さんの弘前庁舎より綺麗、それでも杉小幅板ですから、しっかり板目は残っていますし、板も結構長物でいい。これだけの建築ですから、当時のように廻りをきれいに整備して、建物を良く見えるようにしてほしいと思いました。そうすれば、建物の存在感がその量感が、確実に伝わるはずです。実物の見所として折板の全体が見渡せるとき、感激の大きさは随分違うんじゃないかと思いました。
またこの頃の建築雑誌を見てみますと、折板で計画している建物が幾つもあります。その中で丹下健三の物と、増沢洵の物をあげてみました。丹下のは全体を矩形の中に納めてデザインしようとしており、プランを見ると折板であることはハッキリしているのですが、立面ではよく分からないようになっています。レーモンドの目黒教会(1958)も同じような思考で、折板が目立たないように作っています。増沢洵の小ホールは形こそ折板を明確に見せていますが、折板のプロポーションや、奥行きが群馬音楽センターとは全く違っており、鈍重に見えますね。このような試行錯誤の内に見いだされたレーモンドの折板建築の傑作と言うことですね。
レーモンドのこれまでの作品を見ていると、ここまで明確に折板の組み合わせ「だけ」=屋根が鋭角の三角形の繰り返しなのですが、このまま屋根にできると発想できる者はいなかったのでした。同じように壁が鋭角に突き出した三角形を明快に抽出し得たのが不思議でさえあります。快挙ですね。
しかし当時の評価は厳しいものでした。
折板をうまくやればこんな弾薬庫のようには見えないとか、足元が相変わらず寂しいとか。内装もそうですが、今では建築家の作品なら当たり前になっている幅木無しの納まりとか、外観もコンクリート打放しの壁がそのまま大地と接するというのは、当時では耐えられない貧相に見えていたことが伝わってきます。弾薬庫だという評価も今ならば、「格好いいじゃないか」と言ってしまって何の問題もないことでしょうが、敗戦から15年くらいですから、単純な倉庫スタイルは忌避されたのでしょうね、レーモンド評価を戦争観抜きでやるにはこれからなのかもしれません。これほどの建築が大きな評価を得ていないのですから。
DOCOMOMO 20 選に選ばれたのだから、専門家の評価は高いわけです。
評価する人は評価している、けれど広がらないと言うことなでしょうか。
090110