このところ屋根が曲面になっている建築が幾つもできてきている。
建築家は俺にやらせれば、こんなもんだという感じではないだろうか。今までのガラスとアルミという工業製品風とは打って変わって、ポツ窓のレンガタイルだ。
外廻りは歩道から屋上庭園へと連続してしており、なかなかできないことが、事も無げに成立している。高層棟の足下がグランドレベルへと、外壁タイル張りの曲面で連続して仕上げられている。ちょっと不思議な雰囲気があり、建物が床仕上げと曲面で連続性を作ることで、広場と一体に感じさせようとしているのだと思う。レンガタイルの赤土色と芝生の緑が対比となって美しい。市民広場として「使われてゆく」ことを願っています。
内部に向かおう。
低い曲線立面のガラスサッシュを入ってゆくと、入り口付近はとても低く抑えられた天井となっている。。そこから徐々に高くなっていって、一部が二層分の高さになってゆき、2階部分は外壁側が大ガラス窓となっていて明るい。建築の部分(天井)が親しく人に接近してくることに意味を見つけている。天井が高いのが当たり前になっている現在に、高すぎる感じにならないよう、ヒューマンスケールの(手の届くほど)低いところから、ゆったりうねりながら高くなって行き、おおらかにうねった天井に囲まれたカウンター空間。天井から各窓口の案内板がつり下がったりするのが普通だが、ここではそれがないのですっきりと形が見え、天井がきれいにうねっているのが美しい。細いパイプ柱しか出てこないから、空間がすっきり伸び伸びしている。天井を照らす間接照明が、美しくうねる天井をより強調している。天井の低いことがこんなにも落ち着けて、安心した感じがある。良い雰囲気だと思う。
この広がりの中で、2棟の高層棟の足下が格子状の四角い囲いとなって、全体の構成が良く解るようになっている。
今までの市民窓口にはちょっとない、柔らかく囲まれた低い天井によって、空間の大きさが丁度良いスケール感を造って、落ち着いた明るい抽象空間になっていた。
080816
イメージの広がり
楽しかった建築体験を書いてから、過去の建築に連想がつながって行った。あくまで直感的に想起したことに過ぎないが、過去建築圏の捕らえ直しにもなり、こっちの方の見直しも楽しかった。
ーーーー低い天井ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
曲面の天井はかなり低いところがあって洞窟的な雰囲気があり、なのに明るい。
この洞窟的と言うところは安藤忠雄の店舗シリーズの、迷路的な暗がり空間に連想が及んだ。とても安藤ほどの暗さではないし、狭さではないが、そこにつながってゆく建築家の指向性を感じる。一般的には広く高い空間が嗜好されるが、建築家にかかるとこの反対、狭く低い部分に意味を見出そうとする在り方にスポットが当たる。低い天井というのは明確に建築家だけにできる意味としてある。建築家の低い天井は住宅には結構あるが、公共建築にはなかなか無いと思う。
ーーーーレンガタイルーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
タイルは色も材質もレンガそのもので、踏んだ感じは滑らないし、しっかりした感じで安定感がある。55角で目地が白いから、レンガタイルといえど明るい感じがする。レンガタイルと言えば前川国男を思い出すが、大分イメージが違っている。レンガタイルの渋みや色合いを持ちながら開放感のある明るい感じで、これには白い目地が大変に効いている。床の白目地は英断と言える。汚れがつきずらい処理などしているのだろうか。
前川国男の落ち着いた渋い暗めの使い方が印象に残っている。
(埼玉県立博物館1970)(*1)打込みタイルという作りをしたために底目地もタイルで形を作った。ここから一般にもレンガタイルが随分流行ったのだが、明るい感じが好まれたために、レンガタイルの持つ落ち着いた渋みのような色合いが失われていった。ただ明るくポツ窓面を退屈に覆っていった。目地はモルタル色ばかりで眠たい退屈なものでしかなかった。ここらあたりがタイルの流行り廃りのことだと思う。
ーーーー裾の広がりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また建物がグランドレベルに着くところで、裾広がりにしている手法は、表現派風と言うことなのだが、これは樹木が大地から立ち上がる力動性を表わしているのだと思ってきた。ところが福生市庁舎に刺激を受けて、確認してみるとどうもそうではなかったのだ。
たとえば村野藤吾の例でいくつかある。
新高輪プリンスホテル(1982)の高層棟の裾がそうなっていた。けれどここでもその裾は、社交界のドレスのように重いものだった。建物と同じタイルが貼られている空気取り入れ口を=表現派風の裾広がりの足元にデザインしたと言うことのようでした。これはこの棟の反対側の足元には付いていません。(新建築1982年7月号より)
谷村美術館1983(*2)は内部は洞窟表現だ。だから外観も大地に根が生えた感じではなく、建物の根本の土がえぐられてゆく感じがあって、構造として地盤に埋まってゆく造形という感じがしないのだ。それは鍾乳洞が垂れ下がってゆくような、それが足元に堆積した感じと見た方が良い感じがする。そんな自然物の感じを出しているのだろうと、やっとこちらの想像力が追いついた。
又この回廊のところだけだが、壁と床の仕上が同じになっていて、モルタル刷毛「突き」というような仕上げになっている。特異な感じで面白そうなのだが、建物に付属する一部で使われたのみであった。
これと同じ仕上方が大きく使われたのが、藤森輝信の
神長官守矢記念館(*2)で、建物の内部に壁も床も同じで土混合モルタル刷毛「突き」仕上げと言う感じで使われた。谷村美術館内部の洞窟表現の方が床壁に同じ仕上げを使っていそうだが。
ーーーーもう一度裾広がりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
建物の裾広がりのイメージが大地に根ざすとか、樹木が大地から生えてくる力強い感じは何処に行ったのかと考えてみた。この言葉が表現派の修飾語として使われていたが、私の受けた力強いと言うイメージとずれていたらしい。
瀧澤眞弓「山の家」(*3)(分離派)の裾広がりや、
メンデルゾーンのアインシュタイン塔(*4)(表現派)の裾広がりを表していた言葉なのだ。これらの写真を見ながら考えてみるなら、樹木の根っこが地中に入るところで横這って、露出している姿を現していると言うことのように思えた。(大木根っこの写真)
そういえば
新宿の超高層(*5)にあったなーと思いだした。写真を見てみると確かに裾広がりではあるが、腰高で、1階は柱だけが立っている感じになっていて、ボリュームが突き刺さる感じが弱められてしまっている。で、大地に根ざすという感じではない。最も軽くすることを目指しているのが現代建築だから当然なのだが。
ーーーーもう一度福生市庁舎へーーーーーーーーーーーーーーーーーー
作家が解説で「私たちがスカートと呼んでいる曲面屋根」と書いている。
レンガの質感を失わない明るめの色合い、目地に白セメント、南国のような色調と言ったらいいか。ここにきて裾広がりの一番「軽い」感じを実現したと言うことのようだ。それは裾にあたる曲面のところにトップライトをい幾つもしつらえているところにも、どっしりしないようにやっている感じがした。ただスカートや、山高帽子の感じでたたずんでいるのではなく、裾は拡張されて=床タイルはどんどん広がっている。この広場が水平面ではなく、うねっている丘のようであるために、裾の曲面がフワッとしている感じに近づけたのかもしれない。
福生市庁舎はレンガタイルの明るさや、植栽も芝生という面構成に徹したから軽快さがよく出てきたんだと思う。建物の足元も大地に根ざすというものではさらさらなく、床のタイルに連続して広がってゆく感じを創ろうとしているからだ。この意味では屋上全体がレンガタイルでも良かったのかもしれない。それではあまりにドライだから植栽は芝が当然だった。するとやはり足元は、スカートが広がるように、スカートの広がる範囲のみ、レンガタイルが良いのかもしれないとも思えた。それ以外は植栽の芝とコンクリート平板等という、レンガタイル以外のペーブ材というのもあったかもしれない。
今回は新技術も新材料もない、普通の方法の中で創られた。それなのに、これだけ新しい空間を体験させてくれる。この方が難しいはずだ。
080823