フランス、パリ
パリ万国博覧会 日本館 1937 (36)
Japanese Pavillion at the Paris Exposition

〒113-0034 東京都文京区湯島4丁目6-15
国立近現代建築資料館 坂倉順三展 2014 模型 


              設計:坂倉順三 (1901-1969) 68

               photo by mirutake 2014.02





















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※1 建築家 坂倉準三展
モダニズムを生きる/人間、都市、空間
2009年5月30日(土)ー9月6日(日)神奈川県立近代美術館鎌倉 展覧会カタログ


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3.関連 hp
坂倉準三 (ウィキペディア)

建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの
論考1 日本、世界、伝統、モダン 藤森照信
この構造に先駆的に取り組んだミースは、バルセロナ・パヴィリオン(1929)とチューゲンハット邸(1930)という空間構成の傑作を生むが、しかし、構造表現への関心を欠き、前者は今も構造形式は不明(戦後、構造不明のまま再建された)、後者は軸組構造を取ってはいるが、水平に走る梁を天井裏に隠し、構造を表現には結びつけていない。

鉄骨による軸組み構造を表現として現わすことに世界で最初に成功したのは、坂倉準三だった。昭和13年(1937)のパリ万博日本館(写真3)において、垂直の鉄柱と水平の鉄梁の間に大判のガラスをはめ込み、鉄骨の枠組とガラスの2つだけを前面に押し出した。この日本館は、審査委員長オーギュスト・ペレにより、アルヴア・アールトのフィンランド館、ホセ・ルイ・セルトの自由スペイン館と並び建築グランプリに輝いている。

ここに一つ残念なのは、当の坂倉準三が、パリ万博日本館の革新性にどこまで自覚的であったかで、戦後の鉄骨構造の神奈川県立近代美術館(1951)を見ると、軸組構造を印象深く表現しようとはしていない。
 パリ万博日本館を建築雑誌「現代建築」の編集長として特集した若き建築家が、軸組構造の美の問題を引き継ぐ、丹下健三である。
「建築の日本展」 その遺伝子のもたらすもの 展覧会カタログ より

モダニズムが模索した、もう一つの日本館:第2章(3) 五十嵐太郎
○ 日本の雑音から離れて----傑作誕生
 しかし、フランスが求める、フランスの技師との共同作業を前田案がクリアするのが難しいことから、急遽、坂倉に白羽の矢が立った。彼はル・コルビュジエに事務所を間借りして、現地で前田案の修正にとりかかるが、結局はまったく異なるデザインに仕上げた。すなわち、日本の雑音から離れた場所において、この傑作は誕生したのである。

坂倉準三のパリ万博日本館に感動する/グロピウスとアメリカと/伝統を伝える個人個人のDNA
清家 モダンデザインということからいえばどれも同じに見ていました.当時,雑誌で見ていちばん感激したのは坂倉さんのパリ万博日本館でしたね.

モダニズムが模索した、もう一つの日本館:第2章(3) 日本建築論 五十嵐太郎
○ センセーショナルな世界デビュ---坂倉準三

パリ万博日本館 1937年 モダン周遊

「坂倉準三:人間のための建築」 You Tube


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