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木村産業研究所 1932 (27)
設計:前川國男 1905-1986 (81)
photo by kishida.junnosuke 2021.12
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前川國男 (ウィキペディア)
【近代建築の原点】木村産業研究所【前川國男のデビュー作品】前川建築ご紹介第2回目 YouTube
木村産業研究所(1932) 弘前と前川國男 - 1: 木村産業研究所 (弘前、青森、日本)旅行の時間
昼間は影となり、近づくまでは気が付きませんが、玄関の吹抜や車寄せの天井に塗られた朱色が鮮やかです。西欧で学んだ建築家が、習い立てのモダニズムの理論を、そのまま生硬に形にしたようなところが、若々しく、今も、魅力的です。
完成当時は、外に突き出すように、バルコニーが付いていました。確かに、そこにバルコニーがあると、立面に変化が生まれ、活き活きとして来ます。しかし、外に突き出したバルコニーは、豪雪の気候に耐えられず、消え、同じように、近代建築の5原則の一つである屋上も、凍害による漏水に悩まされ、今は、閉鎖され、屋根を架けています。
理論が、現実の技術に阻まれてしまいました。技術の時代的限界もまた、当時の日本という風土の現れだったのです。
前川國男の建物を大切にする会 PDF
前川國男の建築 雪国の街 ある建築家の闘い NHK 2011動画 3:30
モダニズムの理想を、日本で実現するには何が必要なのか。建築家・前川國男は、弘前の風土と向き合い、日本独自の建築のかたちを生み出しました。
「弘前市の宝」 前川國男の建築、国の重文指定へ 朝日新聞デジタル
鉄筋コンクリートの2階建て。白い壁と水平に連続する窓で均整の取れた外観、バルコニーやピロティ、曲面に張り出した外壁。内部はガラス窓を多く使い、玄関ホールの吹き抜けや赤く塗られた天井も特徴とされる。過剰な装飾をせず、機能性を重視したモダニズム建築を体現する国内最初期の建物として、価値が高いと評価された。
木村産業研究所 前川國男の建物を大切にする会
当初の意図は現在でも引き継がれ、平成の今でも「こぎん研究所」として、訪れる人に津軽の手仕事を丁寧に紹介している。 正面玄関には、70年以上経た今でもモダンな佇まいを見せる、全面が横長のスチールサッシュのガラス張り。光の屈折が、時代を感じさせ思わず見入ってしまう。右手のピロティをくぐると、緩やかなカーブで裏庭に突き出した貴賓室が見える。箱形と言われる近代建築の中にあるこのなだらかなラインが、実にほっと訪れたものを迎える。当初は1階と2階の屋根は陸屋根になっていて、それを結ぶ外部階段があり、正面玄関の上には、バルコニーが張りだしていた。凍・雪害により仕方なく屋根にはトタンをかけバルコニーの張り出し部分は取り除かれた。 他にも、2階へ続く階段のブルーのおしゃれなモザイクや会議室の両窓側に設置されている手間をかけた人造石のテーブル、トイレのクリスタルのノブなど、若き日の前川の建築家としてのみずみずしい感性が随所に感じられる。 昭和10年にここを訪れたドイツの建築家ブルーノ・タウトが、著書『日本美の再発見』で、“コルビュジェ風の新しい白亜の建物”と記している。
木村産業研究所きむらさんぎょうけんきゅうじょ 建築物紹介サイト【ARC STYLE】
旧木村産業研究所_内観by arc0907
前川國男 近代建築を巡る その1 木村産業研究所 1932年 2020年 01月 20日アトリエ バウ 1級建築士事務所 「ちょっと気になる家づくり」 松山市 愛媛 建築家
(クレセントは外国製でした) 1Fのエントランスホールや貴賓室のアールの連続窓、2Fのサッシは、当初のオリジナルはT型の細いスチールサッシでラ・ロッシュ ジャン・ヌレ邸(1923)を思い出させるディテールでした。残念ながらファサードのサッシはオリジナルの横長滑り出し窓→引違い窓になっていましたが(写真)、部分的に横長窓も裏側や2Fの一部に残っていました。(錆付いて開閉が困難でした。)
前川國男 弘前こぎん研究所(木村産業研究所)細いスチールサッシの明るい開口部
前川國男 弘前こぎん研究所(木村産業研究所) 前川圀男プチ博物館
前川國男 弘前こぎん研究所(木村産業研究所) 曲面壁のある貴賓室
弘前 前川國男建築を訪ねる PDF
コルビュジエが教え、タウトが驚いた必見の近代建築が青森にある
4.https://www.google.co.jp/maps/ 木村産業研究所