〒036-8345 青森県弘前市蔵主町7-1
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弘前中央高校講堂 1954 (49)
設計:前川國男 1905-1986 (81)
photo by kishida.junnosuke 2021.12
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前川國男 (ウィキペディア)
弘前中央高校講堂 旅行の時間
単純な箱型プランですが、積雪への配慮からか、長手方向の壁面を傾け、壁面に藍色や水色を、軒裏に朱色を鮮やかに使ったことで、重力から解放されたような軽さをまとっています。軒裏の朱色は、前川國男が、軒裏はきれいに仕上がらないと考えていたことに因むそうですが、元々は女子校であったことも意識したのではないでしょうか。
弘前中央高校講堂 前川國男の建物を大切にする会
ホワイエは2階座席の階段状の構造がそのまま天井面に露出しており、白い壁と階段の手すりの黒のコントラストが、シャープな美しさをみせている。両側面は傾斜する大きなガラス面で、ホール全体に外からの光が溢れんばかりに差し込む。
後年、全国各地に設計される音楽ホールのさきがけとなる建物である。高校の講堂が音楽ホールなんて、当時の中央高校の生徒はどんなにこの建物を誇らしく思っただろう。
青森県立弘前中央高校講堂 弘前で見るべき100の建物
白壁のホワイエは、同年、同じく前川が手掛けた「神奈川県立音楽堂」と同様の雰囲気を醸しており、後年、全国各地に建てられる前川の音楽ホールの先駆けとなったとされる。
白を基調とする内部や水色に塗られた鋼板の外壁、軒裏の赤色など随所に色彩の工夫がなされている。内部の硬質の美しさなども、前川の油の乗った時期の充実した建物となった。デザイン性が前面に出ており、見た目の格好が良い。全面がスチールサッシのガラス張りの正面からは、中のホワイエを見通すことができ、水平のスレンダーな庇を建物上部にめぐらせたことで、外壁とスチールサッシの窓面には雨が直接かからなくなり、今もなおその姿は健全に保たれている。
弘前市民会館が誕生するまでは、弘前市における音楽鑑賞の場として市民に広く愛されており、現在は、耐震補強工事を経て、同校学生たちに活用されている。
弘前中央高校講堂 建築物紹介サイト【ARC STYLE】
弘前城の向かいに建つ、県立弘前中央高校の講堂で、弘前に多く存在する前川建築の内の一つです。外壁の水色や庇裏の朱色が印象的です(竣工時はもっと鮮やかだったかも)。講堂の椅子はスプリングが効いていて座り心地は良さそうでしたが、床がコンクリートになっているのでとても寒そうです。外壁のサッシや椅子なども、一般的なものとは違ってちゃんとデザインされていて格好良かったです。椅子の番号が123〜ではなく、いろはにほへと〜になっていたのは珍しかったです。
弘前中央高校の講堂【全国の音楽ホールの先駆け作品 YouTube
前川國男 近代建築を巡る その4 弘前中央高校講堂 昭和29年(1954年)竣工
後年、全国各地に設計される音楽ホールのさきがけとなる建物。高校の講堂が音楽ホールなんて、当時の中央高校の生徒はどんなにこの建物を誇らしく思ったでしょうか。。なんとなく、今治市公会堂にこのタイプのホールとにた構造がありますが、前川氏の事務所にいた丹下さんや構造の木村さん等も前川さんの影響を受けたのではないかと思います。
registration 日本におけるモダン・ムーブメントの建築 179 青森県立弘前中央高等学校講堂 do.co.mo.mo_jaan
本講堂は前川國男が師ル・コルビュジエの考えを踏まえながらも、日本の近代建築をどう定着させるか、近代建築が見落としがちな地域性をどう取り入れていくかを強い意気込みで率先して取り組んだ作品であり、日本の近代建築の展開を振り返るうえで欠かすことのできない重要な現存作品といえる。戦後間もない時期の学校施設として、現在も残され使われていることは特筆される。しかも座席付の音楽ホール並みの施設として地域社会に利用されていたことを考慮すれば、歴史的地域資産として極めて重要な作品といえる。
青森県立弘前中央高校 講堂 1954年
弘前中央高校講堂
青森県立弘前中央高等学校講堂
前川國男は軒裏にこだわっていました。
暗い感じが嫌いでこちらは赤に塗られています。
弘前市役所の軒裏は青でした。
きのうの木村産業研究所では天井が橙色でした。
前川國男 「弘前中央高校講堂」 田之倉の生活
前川建築 A弘前中央高校講堂
弘前中央高校講堂(前川國男設計)1/50模型
4.https://www.google.co.jp/maps/ 弘前中央高校講堂【前川建築】